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12月2日より、津島地区のつしま活性化センター道路沿い(国道114号)を中心にイルミネーション点灯が始まりました。1月末日までの間、夕刻から夜9時まで柔らかな光が辺りを照らす予定です。
イルミネーションの取り組みに向けては、津島住宅団地に住む有志の皆さんによる任意団体『つしま会』が立ち上がり、当事業で設置に向けての具体的な段取りや浪江町の復興コミュニティ事業補助金を申請するお手伝いなどを進めてきました。
装飾のイメージを「冬だから暖かい色合いがいいよね」「文字は里山を思わせる緑色がいいかな」など役員の皆さんで話し合い、津島地区での作業に興味や関心があるボランティアの方を募って、制作と設置作業を2回に分けておこないました。
1回目は集まった15名ほどでチューブライトで文字をつくる作業です。やはり「津島」はアピールしたいよねと、『つしまの里』という文字を制作することになりました。一文字ごとに分かれたテーブルで、それぞれが担当する文字をつくりました。
2回目は30名以上が集い、屋外でイルミネーションライトの設置作業です。杭を打ってライトを這わしたり、建物の壁面にモチーフライトの取り付け、装飾品の小物の取り付けをするなど、力を合わせて作業を進めました。
1回目はお昼を兼ねた休憩、2回目は点灯式を待つまでの時間のお茶会として、それぞれお弁当や軽食を取りつつ参加者間で交流できる時間もつくりました。会長からの豚汁などの差し入れには、参加者から喜びの声も出て、作業している以上のにぎわいで楽しい時間となりました。
いよいよ点灯式となりました。津島支所の戸浪義勝支所長も出席され、お祝いとお礼の言葉をいただきました。
つしま会の会長からは「津島住宅団地の住民を中心に、参加したみんなの力で津島に明るい光がともりました。感動しています。センター前を行き来する方にも津島が明るくなったと感じてほしいと思っています」と感謝の言葉が述べられました。
年末から年明けの時期は、日本全国様々な場所でイルミネーションの景色が観られると思います。津島では初めての取り組みとなり、規模はとても小さいものかもしれません。しかし、特定復興再生拠点の避難指示解除から1年を迎える前に、地域の方が中心となったこのような取り組みが進んでいった状況にはとても感動しています。
一方で、津島や他の町内の帰還困難区域でも特定復興再生拠点として今春解除された面積はごくわずかで、最初の一歩を踏み出すことすらできない地域は多く残っています。
そのようなことをしっかりと頭に置きつつ、人と人とのつながりを維持したり深めたりしていけるようどんな取り組みができるか、今後も考えながら進んでいきたいと思っています。
つしま活性化センターの前を通る際は、ぜひご覧になってみてください。
地域づくり支援専門員 今野がお伝えしました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
11月12日、苅野地区にある標葉神社で昨年に引き続き例大祭が開かれました。
昨年同様、新型コロナウイルスへの配慮から、氏子総代と関係者のみで規模を縮小しての例大祭となりました。
昨年の様子はこちら⇒『標葉神社で例大祭が開かれました』
玉串奉奠などの神事から、浦安の舞や苅宿の神楽の奉納などが一通り執り行われました。
規模を縮小してとは言うものの、地域の方が大切にしている神社の行事です。
氏子総代のお一人は「標葉神社は苅野地区の神社として、思い入れは強い」と話し、「昔は神社のお祭りとは別に、地域の郷土芸能を披露する芸能大会が開かれたり、集まりの場だった」など地域で親しまれた場であった様子を話しました。「そう言えば・・・」と付け加え「苅野小学校が近いから、例えば写生大会で絵を描く対象にも神社がなった。子どもが描いた絵が町の十日市祭りに出展されるとかあったなあ」など思い出を語ってくださいました。
別の方も「昔の例大祭は出店も出たし、土俵がつくられて相撲大会があったりして盛り上がっていた」などと話していました。
苅宿の神楽は中の役割を世代交代し新たな方が務めたからでしょうか、息を切らしながらの熱演でした。そして浦安の舞も「継承の火を絶やさないよう、町外に住む子どもらにも協力してもらった」ということで様々な苦労がしのばれますが、また来年も無事に例大祭が開かれること、そして地域の方がつながる場になるよう願っています。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
11月5日(日)津島地区のつしま活性化センター屋外会場を中心に「さあ行くべ!つしま肉まつり」が開かれました。
400人を超える来場があり、冬を迎える前の津島に一時(いっとき)のにぎわいが生まれました。
「肉まつり」は地域住民手づくりの祭典として震災前まで20年「つしまのいきいき夢まつり」と題して開かれてきたもので、住民による任意団体の津島いきいきフォーラムが主催し、焼き肉が中心のイベントとして地域の皆さんに親しまれてきました。
今回の報道で「原発事故で休止していた肉まつり」などといった表現が一部見受けられましたが、実はそれは間違いです。原発事故の前の年に「20回続いたが、一度これで終わりにしよう」ということで会も解散、イベントも最後となっています。
肉まつりを閉じた理由としては近隣の町村でも同じ時期に秋のお祭りなどを開催してきたことで集客が減少したことに加え、会の皆さんの高齢化というのが大きい理由だったようです。
一方で、津島の皆さんに地域の思い出を聞くと「山遊び、地域の運動会、あと肉まつりも楽しかったなあ」など、肉まつりに関するお話を聞くことが多い状況でした。
今回、まずは津島地区の行政区長会に肉まつり復活による交流の機会・場の創出を提案し、その後に地域の皆さんが中心となってイベントを進めるため以前の実行委員などにも声がけしながら、主催する任意団体を立ち上げていきましたが・・・60代70代の方が打ち合わせで避難先から1時間以上かけて集まってくる様子など『避難指示が一部解除され津島にも集う場ができた』とはいうものの、なかなかに大変だなと感じつつお手伝いを進めてきました。
主催団体の「さあ行くべ!つしま肉まつり実行委員会」でも委員から「今回だけじゃなく、続けていくことが大事だな」といった声があり、頼もしいなあと思った反面、やはり若い担い手が近い将来的に必要だなと感じていました。
そこで「きっと津島の若い人の中にも、地域に関わりたいという方はいるはず」と思いボランティア募集をおこなうこととしました。
「手伝いが必要ってチラシ見たんで・・・やりますよ!」と、少ないものの開催当日は4名の津島の若い方が集まってくださいました。
準備を始める直前、まずは簡単に自己紹介をしてもらうと「あっ、〇〇さんのお子さん?」「〇〇さんのお兄ちゃんかー?」など、原発事故前の人口が1,400人ほどだった津島ならではの距離感のやり取りが聞かれ、お互いに笑みもこぼれていました。
曇り空の中の肉まつりは、雨も何とか回避しながら終了。午後3時に終わって片づけを始めると4時過ぎにはだんだんと暗くなり・・・。今回のイベント用品はレンタル業者から手配したものだったため、後片付けもそこまで手がかかりませんでしたが、避難先と行き来しながら地域の方が取り組むイベントの難しさ、課題を感じました。
でも、1回目は無事に終わりました。焦らず、できることが少しずつ増えていけばいいなと思います。
また来年も実施すると思いますし、これから津島でも様々な取り組みがあるかと思います。
あまり肩ひじ張らずに、気軽に興味を持った方が関われるような場や機会を、これからも考え提供していければと思います。
津島の若い皆さん、ぜひよろしくお願いいたします。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
津波で社殿が流出し、災害危険区域となった請戸地区の苕野(くさの)神社で10月18日、再建へ向けた上棟式がおこなわれました。
今年7月には地鎮祭がおこなわれており、社殿の工事も順調に進む中、再建委員会の役員や施工業者などおよそ20名が集い、式典が進められました。
幾世橋の初発神社の田村貴正禰宜が斎主として式を進め、玉串拝礼などがおこなわれました。
苕野神社の氏子総代長を務めている五十嵐光雄請戸南区長は「12年経ち、請戸にモノが建ったのは苕野神社だけ。災害危険区域のため住むことができず住民はバラバラだ」など厳しい状況に触れる一方「ここで暮らした際の潮風は、他では吸えない。苕野神社が戻ってきたことで、立ち寄る用件ができた。ありがとうと言いたい」と、再建に向けた期待を話しました。
終了後には集まった皆さんで記念撮影がおこなわれました。
請戸の田植踊に熱心に取り組む、請戸芸能保存会の佐々木繁子会長は再建中の神社を前に「安波祭が楽しみ。とても立派に建ててもらった。(本来の、津波の犠牲となった)宮司さんも喜んでいると思う」などと感想を話してくださいました。
神社は流造(流れ造り)の形式をとっており、略していない正式な流造ということで、この近辺ではあまり無い形式になるそうです。また、近年の災害の傾向なども意識し、暴風などへの対策としては木材を太くするなど様々に工夫を重ね、頑丈なつくりとしているとのことです。
苕野神社会計の佐山弘明さんによると、来年の安波祭(※2月第3日曜日開催=令和6年は2月18日)に合わせ、同日に竣功式と竣功披露をおこなうとのことです。神社のお披露目を兼ね、内覧などもできるように対応しますということでした。
これまでも跡地で開催されてきた安波祭ですが、新たな神社の前に地域の皆さんが集う姿を想像すると、来年の安波祭への期待が高まります。
前年度(2023年2月)の安波祭の様子はこちら→「2023年 請戸 安波祭」
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
10月15日、室原行政区が管理し修復を進めていた八龍神社と秋葉神社の修復竣功式典祭が開かれました。雨が降る中でしたが、役員や室原の住民などおよそ60人が集い、神社の再建を祝いました。
帰還困難区域となっていた室原地区でも、神社の再建をどうするかというのは地域で初めに上がる課題の一つで、以前から議論が進められていました。「やはり神社は直さなければ」ということで、今年3月末に特定復興再生拠点の避難指示が解除されることもあり、許可を取り1年以上の間に渡り大工さんが出入りしながら、作業をコツコツと進めてきました。
前々日には両神社の掃除や旗立てなどがおこなわれ、役員の方らが汗を流し準備をおこないました。
当日は、まず秋葉神社での式典で、役員のみで簡素におこなう予定ではあったものの、雨で神楽の奉納も取り止めることとなりました。役員4名で式典を進め、お神酒を上げるなどしました。
10時からは各戸に呼びかけ、八龍神社での式典を執り行いました。ほとんどが避難先で暮らす住民の皆さんですが、およそ60名が駆け付けました。
八龍神社では玉串奉奠などのあと、火伏の祓いや神楽奉納がおこなわれました。
室原芸能保存会の神楽は、これまでも精力的にイベントや民俗芸能の催しなどへ出演し披露されてきていますが、この神社での奉納は12年以上ぶりとなりました。
室原の二つの神社は、行政区の神社として室原行政区が管理しているということです。小澤晴久区長はあいさつで「震災から12年が経ち、神社も立派に再建した。室原のにぎわいを何とか少しずつでも取り戻したい。避難されている方も帰郷した際に神社に立ち寄ってほしい。皆さんと一緒に、守っていきたい」などと述べていました。
式典に続き、祝宴としてお赤飯やお茶が配られ、簡単に乾杯と来賓祝辞などがその場でおこなわれました。吉田栄光町長は祝辞で「室原の神楽を久しぶりに拝見してとてもよかった。復興は道半ばだが先祖代々引き継がれたものと我々が暮らしてきた証を残さねばならない。再建をきっかけに、心を一つに地域を守り抜くようになってほしい」などと話されました。
八龍神社の本宮(もとみや)を務めるお一人の、椀台さんに感想をうかがうと「帰還困難区域で12年ずっと手入れできない状態で心がかりだった。良かった、良かったよ・・・」と安堵の表情で話してくださり、「今後の課題は維持管理だなあ」などとおっしゃっていました。
お正月には神社の行事である村祈祷(むらきとう)なども本来は予定されているそうで、大変だとは思いますがそういった様々な日常が、少しずつ取り戻せていければと思います。