なみえの今

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縮小しながらも続く、標葉神社の例大祭

2023年12月8日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

11月12日、苅野地区にある標葉神社で昨年に引き続き例大祭が開かれました。
昨年同様、新型コロナウイルスへの配慮から、氏子総代と関係者のみで規模を縮小しての例大祭となりました。

昨年の様子はこちら⇒『標葉神社で例大祭が開かれました』

玉串奉奠などの神事から、浦安の舞や苅宿の神楽の奉納などが一通り執り行われました。

規模を縮小してとは言うものの、地域の方が大切にしている神社の行事です。
氏子総代のお一人は「標葉神社は苅野地区の神社として、思い入れは強い」と話し、「昔は神社のお祭りとは別に、地域の郷土芸能を披露する芸能大会が開かれたり、集まりの場だった」など地域で親しまれた場であった様子を話しました。「そう言えば・・・」と付け加え「苅野小学校が近いから、例えば写生大会で絵を描く対象にも神社がなった。子どもが描いた絵が町の十日市祭りに出展されるとかあったなあ」など思い出を語ってくださいました。

別の方も「昔の例大祭は出店も出たし、土俵がつくられて相撲大会があったりして盛り上がっていた」などと話していました。

苅宿の神楽は中の役割を世代交代し新たな方が務めたからでしょうか、息を切らしながらの熱演でした。そして浦安の舞も「継承の火を絶やさないよう、町外に住む子どもらにも協力してもらった」ということで様々な苦労がしのばれますが、また来年も無事に例大祭が開かれること、そして地域の方がつながる場になるよう願っています。

▲片づけを手際よく進める皆さん

さあ行くべ!つしま肉まつりが開かれました

2023年12月8日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
11月5日(日)津島地区のつしま活性化センター屋外会場を中心に「さあ行くべ!つしま肉まつり」が開かれました。
400人を超える来場があり、冬を迎える前の津島に一時(いっとき)のにぎわいが生まれました。

▲それぞれの席で焼き肉を楽しむ皆さん


「肉まつり」は地域住民手づくりの祭典として震災前まで20年「つしまのいきいき夢まつり」と題して開かれてきたもので、住民による任意団体の津島いきいきフォーラムが主催し、焼き肉が中心のイベントとして地域の皆さんに親しまれてきました。

▲屋内で開いたなつかしい写真展やワークショップなども盛況でした


今回の報道で「原発事故で休止していた肉まつり」などといった表現が一部見受けられましたが、実はそれは間違いです。原発事故の前の年に「20回続いたが、一度これで終わりにしよう」ということで会も解散、イベントも最後となっています。
肉まつりを閉じた理由としては近隣の町村でも同じ時期に秋のお祭りなどを開催してきたことで集客が減少したことに加え、会の皆さんの高齢化というのが大きい理由だったようです。

一方で、津島の皆さんに地域の思い出を聞くと「山遊び、地域の運動会、あと肉まつりも楽しかったなあ」など、肉まつりに関するお話を聞くことが多い状況でした。

▲郷土芸能のステージ


今回、まずは津島地区の行政区長会に肉まつり復活による交流の機会・場の創出を提案し、その後に地域の皆さんが中心となってイベントを進めるため以前の実行委員などにも声がけしながら、主催する任意団体を立ち上げていきましたが・・・60代70代の方が打ち合わせで避難先から1時間以上かけて集まってくる様子など『避難指示が一部解除され津島にも集う場ができた』とはいうものの、なかなかに大変だなと感じつつお手伝いを進めてきました。

主催団体の「さあ行くべ!つしま肉まつり実行委員会」でも委員から「今回だけじゃなく、続けていくことが大事だな」といった声があり、頼もしいなあと思った反面、やはり若い担い手が近い将来的に必要だなと感じていました。

そこで「きっと津島の若い人の中にも、地域に関わりたいという方はいるはず」と思いボランティア募集をおこなうこととしました。
「手伝いが必要ってチラシ見たんで・・・やりますよ!」と、少ないものの開催当日は4名の津島の若い方が集まってくださいました。

▲受付ブースなど、役割を振り分けて作業


準備を始める直前、まずは簡単に自己紹介をしてもらうと「あっ、〇〇さんのお子さん?」「〇〇さんのお兄ちゃんかー?」など、原発事故前の人口が1,400人ほどだった津島ならではの距離感のやり取りが聞かれ、お互いに笑みもこぼれていました。

▲頭を噛んでもらう獅子舞には行列が


曇り空の中の肉まつりは、雨も何とか回避しながら終了。午後3時に終わって片づけを始めると4時過ぎにはだんだんと暗くなり・・・。今回のイベント用品はレンタル業者から手配したものだったため、後片付けもそこまで手がかかりませんでしたが、避難先と行き来しながら地域の方が取り組むイベントの難しさ、課題を感じました。

でも、1回目は無事に終わりました。焦らず、できることが少しずつ増えていけばいいなと思います。

また来年も実施すると思いますし、これから津島でも様々な取り組みがあるかと思います。
あまり肩ひじ張らずに、気軽に興味を持った方が関われるような場や機会を、これからも考え提供していければと思います。
津島の若い皆さん、ぜひよろしくお願いいたします。


苕野(くさの)神社再建、上棟式が開かれました

2023年10月21日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

津波で社殿が流出し、災害危険区域となった請戸地区の苕野(くさの)神社で10月18日、再建へ向けた上棟式がおこなわれました。

今年7月には地鎮祭がおこなわれており、社殿の工事も順調に進む中、再建委員会の役員や施工業者などおよそ20名が集い、式典が進められました。

幾世橋の初発神社の田村貴正禰宜が斎主として式を進め、玉串拝礼などがおこなわれました。

苕野神社の氏子総代長を務めている五十嵐光雄請戸南区長は「12年経ち、請戸にモノが建ったのは苕野神社だけ。災害危険区域のため住むことができず住民はバラバラだ」など厳しい状況に触れる一方「ここで暮らした際の潮風は、他では吸えない。苕野神社が戻ってきたことで、立ち寄る用件ができた。ありがとうと言いたい」と、再建に向けた期待を話しました。

終了後には集まった皆さんで記念撮影がおこなわれました。

請戸の田植踊に熱心に取り組む、請戸芸能保存会の佐々木繁子会長は再建中の神社を前に「安波祭が楽しみ。とても立派に建ててもらった。(本来の、津波の犠牲となった)宮司さんも喜んでいると思う」などと感想を話してくださいました。

神社は流造(流れ造り)の形式をとっており、略していない正式な流造ということで、この近辺ではあまり無い形式になるそうです。また、近年の災害の傾向なども意識し、暴風などへの対策としては木材を太くするなど様々に工夫を重ね、頑丈なつくりとしているとのことです。

苕野神社会計の佐山弘明さんによると、来年の安波祭(※2月第3日曜日開催=令和6年は2月18日)に合わせ、同日に竣功式と竣功披露をおこなうとのことです。神社のお披露目を兼ね、内覧などもできるように対応しますということでした。

これまでも跡地で開催されてきた安波祭ですが、新たな神社の前に地域の皆さんが集う姿を想像すると、来年の安波祭への期待が高まります。

前年度(2023年2月)の安波祭の様子はこちら→「2023年 請戸 安波祭」


室原の八龍神社と秋葉神社で修復竣功式典祭が開かれました

2023年10月20日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

10月15日、室原行政区が管理し修復を進めていた八龍神社と秋葉神社の修復竣功式典祭が開かれました。雨が降る中でしたが、役員や室原の住民などおよそ60人が集い、神社の再建を祝いました。

帰還困難区域となっていた室原地区でも、神社の再建をどうするかというのは地域で初めに上がる課題の一つで、以前から議論が進められていました。「やはり神社は直さなければ」ということで、今年3月末に特定復興再生拠点の避難指示が解除されることもあり、許可を取り1年以上の間に渡り大工さんが出入りしながら、作業をコツコツと進めてきました。

前々日には両神社の掃除や旗立てなどがおこなわれ、役員の方らが汗を流し準備をおこないました。

当日は、まず秋葉神社での式典で、役員のみで簡素におこなう予定ではあったものの、雨で神楽の奉納も取り止めることとなりました。役員4名で式典を進め、お神酒を上げるなどしました。

10時からは各戸に呼びかけ、八龍神社での式典を執り行いました。ほとんどが避難先で暮らす住民の皆さんですが、およそ60名が駆け付けました。
八龍神社では玉串奉奠などのあと、火伏の祓いや神楽奉納がおこなわれました。

室原芸能保存会の神楽は、これまでも精力的にイベントや民俗芸能の催しなどへ出演し披露されてきていますが、この神社での奉納は12年以上ぶりとなりました。

室原の二つの神社は、行政区の神社として室原行政区が管理しているということです。小澤晴久区長はあいさつで「震災から12年が経ち、神社も立派に再建した。室原のにぎわいを何とか少しずつでも取り戻したい。避難されている方も帰郷した際に神社に立ち寄ってほしい。皆さんと一緒に、守っていきたい」などと述べていました。

式典に続き、祝宴としてお赤飯やお茶が配られ、簡単に乾杯と来賓祝辞などがその場でおこなわれました。吉田栄光町長は祝辞で「室原の神楽を久しぶりに拝見してとてもよかった。復興は道半ばだが先祖代々引き継がれたものと我々が暮らしてきた証を残さねばならない。再建をきっかけに、心を一つに地域を守り抜くようになってほしい」などと話されました。

八龍神社の本宮(もとみや)を務めるお一人の、椀台さんに感想をうかがうと「帰還困難区域で12年ずっと手入れできない状態で心がかりだった。良かった、良かったよ・・・」と安堵の表情で話してくださり、「今後の課題は維持管理だなあ」などとおっしゃっていました。

お正月には神社の行事である村祈祷(むらきとう)なども本来は予定されているそうで、大変だとは思いますがそういった様々な日常が、少しずつ取り戻せていければと思います。

津島でボランティアを募り、花植えをしました

2023年10月19日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

今春に津島地区でも特定復興再生拠点では避難指示が解除され、町役場津島支所が入るつしま活性化センターを活用した集まりや催し事が、少しずつ増えてきています。
11月5日には、町と実行委員会が主催する浪江町「さあ行くべ!つしま肉まつり」の開催を予定しており、話し合いや細かい段取りなどが進められています。肉まつりは原発事故前まで津島で開かれていた焼き肉を中心としたお祭りで、もう一度やってみようと津島の皆さんが中心となって取り組んでいる状況です。

その肉まつりに向け、なにか楽しく準備作業ができればと会場の彩りを創出する花植えを実施することになりました。ボランティアを募って皆さんでおこなうことで、地域に関わるきっかけや、集まった人の交流の場になればいいなと思いながら、チラシなどで呼びかけ募集をしてきました。

10月14日当日、晴天となり天気の心配もいらなくなったこの日、20名近い方が町内外各地から集まりました。

津島から避難生活を送る中で「津島でおこなわれる作業に参加してみたいと思って」という方や「ボランティアは始めてだけど誘われてやってみたいと思った」という方。また「これまで東北各地や南相馬市にボランティアに来ていたが、浪江は初めて。チラシが目に留まりやってみたいと思った」という方など、様々な方が集まってくださいました。

作業は2種類の土を混ぜ合わせたり、布製のプランターに砂利をしいて土を入れたり、苗を植えたりなどで、130のパンジーとビオラの苗を植えました。およそ50のプランターができたのと、花壇にも苗を植えることができました。

プランターや花壇の植え込みには「11月5日開催肉まつり。ボランティアで花植え作業しました」などと書いたプレートを差し込みました。これでイベントの周知にもつながるかもしれません。

津島から避難している若い方も参加され、動機などを聞くと「津島で肉まつりをやるということで、その準備のボランティアを募集していた。津島でやる取り組みなのでぜひ参加したいと思った」などとおっしゃっていました。参加された津島出身の方とも面識があり「〇〇さんの息子さんだよね?」など会話も弾んでいました。

センター隣の、今春から入居が始まった住宅団地からご参加された方も多く、作業やそのあとの交流会などを通じ、楽しくコミニケーションできる場にもなったかなと思います。

今回植えた花については、当面の間はつしま活性化センターの建物の軒下に飾ることでイベントの周知を促していきます。肉まつり当日は会場内で移動し、目に留まるような適所に配置したいと思いますので、ご来場される方はぜひ、お花を見ながらイベントも楽しんでいただければと思っています。

引き続き、このような地域に関われる場を創出していきます。