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こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
震災と原発事故により被災し、再建が進められていた末森の香取神社で無事に工事が終わり、9月1日に竣功祭が開かれました。
香取神社は末森と田尻の2つの行政区に根差す神社で、再建委員会の皆さんや両地域の方々が町内や避難先などから足を運び、30人以上が集まって神社の完成を祝いました。
香取神社は震災後、応急修繕工事を経て令和3年10月末に再建委員会が発足。
昨年6月には安全祈願祭をおこない、末森地区が特定復興再生拠点として避難指示が解除される今年の3月31日までは一時立ち入りの許可を得ながら工事が進められ、この日を迎えました。
⇒再建へ向けた動き、昨年6月の安全祈願祭の様子はこちら『大堀地区末森 香取神社』
もともと秋の例大祭を9月1日におこなっていたことから、竣功祭も日取りを合わせて実施したとのことで、秋祭り自体は13年ぶりの開催となりました。
竣功祭へ向けた会場の準備としては、前日の午後から役員10名程度が集まり、旗立てや幕の設置などを進めました。
準備の際には、盆踊りで使用する櫓についても、部品や建て方の確認も含めて役員の皆さんで組んで敷地内に設置しました。
再建委員会の副委員長で末森行政区の志賀元治区長は「櫓は確認のため組んでみた。ちゃんと部材があるか、傷みは無いか確認しないと。今後組み立てる際に分かりやすいよう、部材に番号などを書こうと思う」などと話しました。
今年は組み立てて設置しただけの櫓ですが、来年以降の考えについてお聴きすると「盆踊りをするにも、若手や地域の担い手がいないのは課題だな」とおっしゃっていました。
同じく再建委員会の副委員長を務める田尻行政区の中西總一郎区長は式典のあいさつで「再建は感慨深い。震災や原発事故でやむを得ず地域を離れた方も、香取神社とこの地域はふるさとであり、永遠に心の拠り所だ。孫や末代まで守っていかねばならない」などと話しました。
再建委員会で庶務会計を務める田尻行政区の原中正義さんは工事経過報告の中で「今後、災害を記録した再建記念碑も建立する予定で、年末までは敷地内に完成するよう計画している」などと話し、ほかに明治時代からの香取神社の概要について30分ほど解説されました。
竣功祭終了後には社殿の内覧が呼びかけられ、出席した地域の方々も「せっかくの機会なので」と内覧し、中に飾ってある写真などを熱心に見る姿が印象的でした。
原中さんは「神社だからいろいろ行事はあって、次はお正月に村祈祷があるんだけどな」などと話していました。
特定復興再生拠点として避難指示が今春解除された末森地区も、既に解除されていた田尻地区も、まだまだ帰還者は少ない状況のようです。地域の神社が再建されたことで地域行事等が再開し、人々をつないでいってくれれば・・・と感じました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の加納です。
7月に行われた八坂神社での盆踊りに続き、今回は川添地区にある国玉神社で開催されました盆踊り大会をご紹介します。
昨年に引き続き、再開2年目となる今年は『川添盆踊り大会実行委員会』も立ち上がり、川添芸能保存会の皆さんや4行政区の区長を中心に、地域住民の方々も一緒になって盆踊りを盛り上げていました。
盆踊り大会当日の天候があまりよくない・・・という予報を耳にしていたため心配していたのですが、前日にテント張りなどの会場準備をお手伝いした際、区長の皆さんからは「国玉神社の盆踊りの日が雨だった記憶はないし大丈夫だよ」と力強いお言葉が。そして当日、仰っていたとおり盆踊り大会が始まる時間帯には青空が広がっていました。この日の午前は津島地区で別の支援がありましたが、ほぼ雨模様という天候だったので、この回復への変化には正直驚いてしまいました。きっと盆踊り大会に対する皆さんの強い思いが通じたのだと思います。
盆踊り大会が始まる前に、川添芸能保存会の皆さんが中心となり神楽が奉納されました。大会の実行委員である川添北、川添南、佐屋前、上ノ原の4行政区長も神楽の演目(乱獅子)へ参加。ほどなくして「家内安全、大安全」「商売繁盛、大繁盛」「交通安全、大安全」というかけ声が会場内に響き渡ると、大きな獅子が豪快に舞う姿を多くの来訪者が写真や動画に収めていました。
▲皆さん躍動する獅子の舞いを思い思いに撮影▼
▼笛や太鼓の音色が獅子の動きの臨場感をさらに引き立てます▼
▼各区長も入って大きな獅子が乱れながら舞う姿▼
このあと盆踊り大会へと移るのですが、奉納に携わった皆さんの休憩や準備があるためしばし中休み。その間に川添芸能保存会の石澤会長によるごあいさつならびに保存会メンバーや出店の方の紹介を兼ねたインタビューが始まりました。
▲皆さんとのやりとりに会場は温かい雰囲気に包まれる▼
盆踊り大会に関わる多くの〝仲間〟に対する石澤さんの想いがあふれたこの場面は、地域のつながりと絆の強さをより実感できる貴重な時間となりました。
そして一丸となって進めてきた盆踊り大会がこのあといよいよはじまります。
最初はおとな中心に踊りの輪が形成されていましたが、だんだんと子どもたちが加わり、華やかさと同時ににぎわいが増していきます。ここ数年、新型コロナウイルスまん延によってあらゆることに対して自粛を強いられてきただけに、その開放感からか子どもたちの楽しそうな表情や笑顔がはじけている様子がとても印象的に映りました。
この日はまた、子どもたちが楽しめるくじ引きやヨーヨーなどに加え、食べものや飲みものなどの屋台コーナーも開設。しかも今年はビールを含めたお酒の販売も解禁になったうえ、この暑さも手伝って出店は大盛況でした。
まだまだ今季の暑さは続きそうですが、参加された皆さんにとって『川添盆踊り大会』は、この夏の楽しい思い出の1ページとなったのではないでしょうか。
来年もまた各地域で行われる盆踊りやお祭りなどが、今年のように制限なく思いっきり楽しめるものになってほしいと思います。
南津島の田植踊りに関する続報です。
8月26日と27日の二日間、津島の特定復興再生拠点にあるつしま活性化センター多目的ホールを会場に、南津島の田植踊りの練習会が開かれました。
ちょうど一年前にお伝えした、宮城県にある東北学院大学歴史学科の学生が「東北学院大学南津島民俗調査プロジェクト」の一環で取り組み、23名が浪江町内に泊まりながら練習を進めました。
これまでも昨秋に浪江町を会場に開かれた『ふるさとの祭り』への参加や、今年の7月末には南相馬市内でおこなわれたイベントへの参加で学生のみで田植え踊りを披露するなど、精力的に活動している様子が感じられます。
昨年8月下旬の様子はこちら⇒継承への挑戦、南津島の田植踊りの取り組み
避難先から駆け付けた地域住民らが見学する中、南津島郷土芸術保存会の三瓶専次郎会長や会員らが熱心に指導しました。
これまでと鍬頭(くわがしら)を担当する学生が違う様子に気づき、聞いてみると「あの役をやってみたい、と希望して今回練習してきたみたいだよ」と保存会の方が教えてくれました。
保存会の方は「昨夏から学生たちと取り組み始めて1年になった。学生は、踊りの役を入れ替わるなど試している。いざというときに対応できるし、色んな役をやってみたほうがいいと思う」など感想を述べました。
原発事故前は自宅が田植踊りの練習場所でもあった、庭元の紺野宏さんに感想をうかがうと「原発事故後初めて南津島で練習となるから、涙が出るほど嬉しいという感想をマスコミは欲しいのかと思うけど、そういう気持ちでもない。でも、もともとの練習場所じゃないとダメだろうと怒るほどでもない」と少し考えこんでから話しました。そして「これまで12年間、避難先の色んな公共施設で練習してきたから、その延長だなという気持ちかなあ」と感想を述べました。
本来の旧正月の行事として地域に根差し、集落の各戸をまわるようになるまでは、まだまだ本格的な復活と感じるのは難しいのかなと感じました。そしてそれは避難指示の解除や住民の帰還が進んでいかない限りは、難しいことなのだと思います。
しかし学生たちの熱心な取り組みは、地域の皆さんのつながりを維持していくきっかけの一つになっているのでは、と感じました。
引き続き、南津島の田植踊りの動きをお伝えしていければと思います。
地域づくり支援専門員 今野がお伝えしました。
皆さまはじめまして、2023年7月より地域づくり支援専門員として活動を開始した加納です。
東京より移住してまだ2カ月ほどなので、毎日少しずつ浪江のことを知っていく段階なのですが、町民の皆さまの想いや移住者として感じる〝なみえの魅力〟などを発信していきたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いいたします。
移住に先立ち、浪江の気候について地元の皆さんから「(中心部の)夏はそんなに暑くなくて、冬もたくさん雪が積もるなんてもこともあまりないですよ」と伺っていたので正直ホッとしていたのですが、実際は外にいると汗が止まらないような真夏日や猛暑日の連続。しかし浪江で今年のような暑さが続くことは例年にはなかったそうで・・・東京暮らしで暑さには慣れているのですが、こう暑いと本格的な秋の訪れが恋しくなります。
はじめてこの地で迎えた予想以上の暑い夏でしたが、それ以上に印象深かったのが浪江地区にある2つの神社で行われた〝熱い〟盆踊りでした。今回はまず樋渡・牛渡行政区内にあります八坂神社の盆踊りをご紹介したいと思います。
一面に青空が広がり好天となった7月22日の午前、八坂神社にて例大祭が執り行われました。祭典が終わると樋渡・牛渡行政区の鈴木辰行区長より集まった皆さまにごあいさつがあり、その後神楽の奉納へと移ります。
厳しい暑さをものともしない堂々とした動き、そして舞い手お二方のピタリと息が合った姿はまさに職人技。炎天下のもとでしたが、皆さん日陰にて躍動する獅子の舞いを見守っていました。
▲皆さんが獅子の一挙手一投足を見守るなか神楽が奉納される▲
▲力強く地面を踏みしめるダイナミックな動きは圧巻▼
▼踊りを彩る笛や太鼓の美しい音色は暑さのなか涼も感じさせてくれます▼
神楽に続いて田植踊りの奉納も行われました。
鮮やかな色合いの衣装がとても印象的で、笛や太鼓のリズムに合わせた手足の繊細な動きは暑さも忘れ見とれてしまいます。それぞれの方が忙しいなか、きょうのために練習を積んでこられたのだと思います。また踊り手に若い方が多く見受けられ、これまで受け継がれてきた伝統のバトンがしっかりと次の世代へと渡っていると感じました。
▲華やかな衣装に身を包んだ踊り手の皆さんによる田植踊りの奉納▼
▲樋渡・牛渡の田植踊りは世代を超えて確実に受け継がれています▼
▼踊りを終えられた皆さんで一緒に写真撮影▼
はじめて見る神楽と田植踊りの舞いを堪能し、午前中だけでも見ごたえ十分だったのですが、このあと休憩をはさみ午後からはいよいよ盆踊りがスタート。最初は暑さもあり、櫓を囲む人はまばらでしたが、鈴木区長による盆唄が響き渡ると徐々に踊りの輪が広がっていきます。老若男女関係なく、皆さんとても楽しそうに踊りながら歩を進めていました。途中、区長に代わって登壇した若い方も盆唄を披露。周りで鳴いていたセミの声をかき消すほどの迫力ある声色でした。
▲お二方の美声が響き渡り、踊りの輪はさらに広がっていく▼
▼水分補給や休憩をはさみつつ皆さん積極的に踊りの輪に合流▼
受付にいらした方も「去年の盆踊りのときより参加者が多いんじゃないかな」とお話しされていましたが、本当に多くの方が来訪され、皆さんそれぞれ盛夏のひとときを存分に満喫できたのではないでしょうか。
代々この地で受け継がれてきた伝統、そして何より地域の皆さんのつながりの強さを感じることができた1日となりました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
お盆期間中の8月12日(土)、13日(日)の2日間、請戸地区にある大平山霊園でお墓参りに来た皆さんが一息つけるお墓参り休憩所を実施しました。
2018年、2019年にも実施していましたが、その後は新型コロナの状況から毎年見送っており、4年ぶりの実施となりました。
以前の様子は以下をクリックしてください。
初日は時折小雨が降る雨模様の中となりましたが、中浜行政区の川口登区長も滞在され、お墓参りしている皆さんに積極的にお声がけなどいただいたことで40名以上の方にお立ち寄りいただきました。
2日目は快晴となった中、冷たい飲み物で一休みできる場ということで、こちらも40名近い利用がありました。
災害危険区域に指定された請戸地区の皆さんは、主に町外に散り散りになり生活を送っています。さらにコロナ禍もあったことから「久しぶり!」「ここで会えて話せてよかった~」などという声が、何度も聞けました。
また、現在の住まいを決めた過程などを教えてくださる方もいて「街中に避難したんだけど、やっぱり波の音が聞こえてないと落ち着かないのな。今は海のそばの家で暮らしている」。別の方も「ざーざーとずっと波の音が鳴っていてうるさいと思うかもしれないけど、いっつもこの音が聴こえていたんだよな」など、海のそばで長年暮らした方たちならではのお話も聴けました。
震災前の懐かしい写真のファイルも並べたため、懐かしそうに、うれしそうにご覧いただく姿も見れました。
「あっ、これ私!」「うちの兄貴だ!」とか「●●年の安波祭にはうちの娘出ているんだけど、その時の写真はないのかなあ」「近所の〇〇さん。若かったなあ」など、写真を手に取って話が弾んでいました。
とても残念なことですが、そうした写真も津波で流されてしまっています。「たった1枚だけ、思い出の品の展示場に写真があったから、前にもらってきたんだけどさあ」などと話す方もいらっしゃいました。
請戸地区ではお盆期間中の決まった3日間は毎日お墓参りに来る、といった風習があったようで、ご先祖様をとても大事にする地域だったのかなと思います。
今は、町外から訪れる方が多いため、以前のようなお墓参りも難しくなったかもしれません。
「浪江町には行かなくなってきたけれど、お墓参りには必ず行く」
そんな声は、町内の他の地域でも耳にします。
お墓参りを通じて、地域の皆さんの交流・つながりの維持が今後も続いていくよう願っています。