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こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
7月14日から15日にかけて、JR浪江駅から徒歩5分のふれあい広場を会場に『なみえ まちづくりを考える駅近キャンプ』が開かれました。
平成29年度からなみえまちづくりCAMP実行委員会が取り組み始めたもので、今年は6月に続き2回目の開催となりました。
まちづくりを考えると言っても堅苦しいものではなく、例えば今回はこの季節の旬の幸でもある「新鮮なアユをその場で焼いて食べよう」がテーマの一つ。
まずはアユを刺す竹串を作らねばということで、竹細工を教えてもらおうと、ゲストに大堀地区の畑川行政区 齊藤基区長ら3人をお迎えしました。
(ちなみに浪江町では、残念ながら原発事故後は漁や釣りが禁止されています。アユの捕獲も調査のため試験的におこなわれているのみとなっておりますので、今回は宮城県から養殖の生きたアユが運び込まれました)
東京や関東など遠方から社会人のグループ、大学生など若い方の参加も多く、素早く出来上がる竹串や箸に「すごい!」「つくってみたい!」など興味津々の様子。
ナタやナイフで竹串や竹のお箸、竹のコップを作ったり、おそるおそるアユを竹串に刺す体験まで、いろいろと3人のゲストの方に教えて頂きました。
炭火で焼いた新鮮なアユを、夏の夕暮れに野外で食べるなんて最高の体験です。
齊藤区長からは震災/原発事故前の畑川地区の様子を教えてもらいました。
写真は、高瀬川を臨む川沿いの自分の土地にある桑原信一さんの小屋で、なんと手作りなのだそうです!
室内はこんな感じで、囲炉裏があって高瀬川が眺められて、川で採ったアユをすぐ焼いたり、サンマも焼いたり。この小屋は地域の人が自然と集まれる場になっており、盛り上がって活用していたそうです。
これは紅葉の時期の高瀬川です。
「すごいーーー」
「最高じゃないですか!」
「ぜいたくーーー」
など、写真を観た方から歓声があがっていました。
浪江町内でも山間部の畑川行政区では震災以前から、将来的な地域の在り方に危機感をいだいていたそうで、「10年先は限界集落」などと話に出ていたそうです。
そんな中でも町外から畑川に移住して来た方がいたりと「もしかすると、地域を維持していけるのでは」と希望も持てたそうです。
活性化への動きも少し出ていたとのこと。
そうした矢先、東日本大震災と原発事故が起きてしまいます。
「今は皆、避難でバラバラになってしまった」と残念そうに話していました。
しかし今回、竹細工の指導やアユの塩焼きの世話などで大活躍した3人は帰りがけに
「とても楽しかった」
「浪江から(避難先に)帰りたくねぇなあ…」
などとおっしゃっていたそうです。
私たちも、今は自由に入ることのできない地域の以前の姿を感じたり知ることが出来て、とても貴重な時間でした。
畑川地区そして高瀬川渓谷と、今は帰れない場所でもそこに住民の皆さんの素晴らしい暮らしがあったことは確かです。
このブログをご覧の皆さんにはそんなことも感じて頂こうと、何かこのような形で、地域の以前の姿を発信していきたいと思っています。
こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。
7月に入り浪江町の街なかにも相馬野馬追の旗指物(はたさしもの)が掲げられるようになってきました。
町内でのお行列は震災・原発事故後は初めてで8年ぶりとなるもので、旗が掲げられているルートを騎馬武者たちが闊歩するそうです。
地域づくり支援専門員も町民の皆さんの声を聴くため町内を周っていますが、訪問先でも相馬野馬追の話題があがることが増えてきました。
先日お伺いしたお宅では、奥さんが相馬流れ山保存会 浪江支部で相馬流れ山踊りをされているそうです。
震災前は会員の方が80人ぐらいはいたそうですが、いまは40人ぐらいとのこと。
それでも福島市と二本松市を練習場所に、皆さんが各避難先から通って月に1回、練習しているそうです。
震災後は色々な場所に呼ばれて踊りを披露することも多かったそうで、東京都渋谷区のイベントでも踊ったとか。
その時の写真がこちら。
「行ったことのない都会のど真ん中で踊るのは緊張した」
「東京の親戚や友達もいっぱい観に来てくれたのは嬉しかった」
など感想を話して頂きました。
今年の相馬野馬追二日目に、騎馬武者たちが本祭りの会場である南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地から戻ってくる(帰り馬)の際にも、中央公園を会場に相馬流れ山踊りが披露されます。
もちろん、野馬追で浪江町内で流れ山踊りが披露されるのはこちらも8年ぶりとなります。
本来なら町役場から中央公園までの道路でも、踊りながら進んで来ていたそうですが、それはまた来年以降の楽しみになりそうです。
標葉郷の野馬追祭は7月28日(土)が出陣式と町内御行列、29日(日)が標葉郷騎馬凱旋行列・標葉郷神旗争奪戦となっています。
浪江駅近くの中央公園を中心に、50騎ほどの勇壮な騎馬武者たちの姿が見られる予定です。
楽しみですね!
こんにちは、地域づくり支援専門員の河原です。
先日、車を走らせていると農作業の方々が目に入りました。
国道114号線の下加倉にあるコンビニエンスストアのすぐそばの畑です。
この日は3人で作業されていましたが、少しお話を伺わせていただきました。
何の農作物かと思い聞いてみると
「カンゾウって知ってっかい?」
「カンゾウ…?あ、漢方薬に書いてあるの見かけますが、それですか?」
「そうなんだよ、甘草(かんぞう)。でも、俺ら初めてつくるんだ」
この畑では初めて、甘草の苗を植えているところなんだそうです。
調べてみると、甘草は漢方薬の約7割に用いられているマメ科の生薬で、そのほとんどを現在は中国からの輸入に頼っているそうです。
しかし、価格高騰などで安定的に調達するのが難しい懸念があることから、現在は国内で栽培研究が進んでいます。
この写真の甘草も、来年秋頃には1メートルぐらいまで成長するとのこと。
「けっこう時間がかかるんだなあ」と感じつつ「1メートルって、そんなに高くなるんだ」と思いました。現在の姿からは想像もつきません。
この畑の甘草は収穫後、二本松のお醤油の甘味料に使用される予定だそうです。
作業されていた皆さんは「まずは醤油だけど、将来的には漢方薬にも使われるようになれば嬉しいよなあ」と笑顔でお話しされていました。
なみえのまちで、いろいろな営農が本格的に始まるのが楽しみです。
こんにちは。
地域づくり支援専門員の今野です。
まちづくりなみえの、地域づくり支援専門員の仕事として、まずは各行政区の区長さんの話しを伺いに5月からまわりました。
浪江町に「行政区」は49あります。つまり区長さんも49人いらっしゃるわけで、担当を専門員5人で分けるなどしてまわりました。
町内外、福島県内外、あちこちに出かけましたが、ひとまずほぼすべての区長さんにお会いし、お話しを聞くことができました。
「誰が帰って来ているのかわからない状況で、これからどうやってコミュニティをつくるべきだろう」
「沿岸部は津波の被害で災害危険区域と指定され住めない。その中で、人々が暮らしてきた証を何か残せないか」
「帰還困難区域はまだ復旧すらも進んでいない。避難先でそれぞれの暮らしも固まっている中で、人々のつながりをどうやって維持できるのだろう」
色々なお話しを伺いました。
それぞれの地区で、それぞれの悩みや課題があることをあらためて実感しました。
その中でも、前向きに何か取り組みたい、というお声も聴きました。
そのような想いを何か形にしていければ…と思っています。
6月半ばには権現堂地区8区の佐々木庸太郎区長を訪ねました。
震災/原発事故前の8区の様子や地域の成り立ち、行事などを通じた住民のつながりや、現在の課題などを伺いました。
ところで佐々木区長は避難先である現在のお住まいの近くに畑も借りていて、じゃがいもを1反5畝も育てています。
なんと「会う人会う人にあげようと思って…」なのだそうです。
そして、ウメもつけています。こちらは何と320キログラム!
並びに並ぶこの樽の量…
これも「人にあげるため」なのだそうです…。
今もこうした形で、人と人とのつながりを維持しているのかもしれませんね。
専門員も、じゃがいも(キタアカリ)をたくさん頂いて帰路につきました。
佐々木区長、ありがとうございました!
皆さん、初めまして。
「一般社団法人まちづくりなみえ」で地域づくり支援専門員として勤務する河原孝夫です。
まちづくりなみえは、浪江町役場から『町内コミュニティ再生事業』を受託しております。
帰還困難区域を除く浪江町の避難指示解除から1年3か月が経過し、ご自宅やご新居あるいは町営住宅等へ帰還された方や新たに住民となられた方が増え続けており、日常の営みが少しずつ始まっていることを感じています。
私たち地域づくり支援専門員は町民の皆さんを中心に直接お話をお聴きし、住民同士をつなぎ町内のコミュニティの再生・再構築のお手伝いをしていきます。
浪江町での豊かな日常を取り戻していけるよう、皆さんと一緒に考え、進んでいきたいと思います。
このホームページの「なみえの今」では、私たちが町の皆さんと触れ合う中で気づいたことや町内各地の今をお伝えできればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
写真はJR浪江駅前にある建物で、まちづくりなみえの事務所です。
(以前は2階がわかばタクシー、1階がビデオレンタル・ゲームセンターだった建物だそうです)
ガラス張りの1階の一部にはカフェを作る予定で現在工事中です。私たちは外の階段を上がった2階で日々の業務をおこなっております。
1階が開業の際には改めてご案内いたします。