なみえの今

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放射能を勉強しています

2018年7月26日

こんにちは。
地域づくり支援専門員の今野です。

まちづくりなみえでは、スタッフが放射能について学ぶ勉強会を定期的に開いています。

環境省事業「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」の全面的な協力で、専門家の杉浦紳之さんを講師に招いて6月、7月と、これまで2回勉強会を開きました。

 

 

写真は1回目の様子で、目に見えない放射線を「霧箱(きりばこ)」を使うことによって見てみよう、というものです。

この霧箱は1897年にチャールズ・ウィルソンが発明した古典的な装置の一つなのだそうです。
すごく簡単に説明するならば『放射線の電離作用により、霧箱の中に現れる飛跡を確認できる装置』です。
つまり放射線そのものではなく、放射線が飛んだ跡の「飛跡(ひせき)」で見えない放射線を認識することができるというものなのです。

 

 

実は小学校の放射線教育では活用されているのですが、一般向けの講習や講演会などでは使われる機会が少ないようです。

目に見えないと言われる放射線が見られれば、興味深々です。
「なんで線が細かったり太かったりするんだ?」「線が曲がったり、短い線もある」など、放射線を実際に見ることで質問がどんどん飛び出し、疑問に答えてもらうことをきっかけに様々なことを知ることが出来ました。

 

7月に開かれた2回目の勉強会では、内部被ばくについて知ろう、ということで事前に受診したホールボディカウンター(内部被ばく検査)の検査結果を見ながら議論を進めました。

 

 

いわゆる放射能の講演会では講師の方が1時間ぐらい話した後、質疑応答となることが多いようですが、私たちの場合は講義中にも気になったことはどんどん質問していきます(笑)。しかし、このような対話のかたちで講演が進行することで、理解が深まっているように感じます。

 

 

このような感じで2回目の勉強会も放射能に関していろいろと学びました。

 

さてホールボディカウンターの受診結果ですが、浪江町で暮らすスタッフ一同、内部被ばくはしておらず(今回の測定でのセシウム134の検出限界は130Bq、セシウム137の検出限界は180Bq。正確には、それぞれの値までのセシウムは見つからなかったということですが、限りなくゼロに近い、ほぼない、という理解で良いと思っています)、当然のことですが現在の浪江町および福島県内で日常を過ごし、市場に出回っている県産の食品を頂いても、まったく問題は無いということを感じました。

 

私自身、原発事故直後は食品や内部被ばくについてとても不安を感じていました。

 

しかし放射能について学んで知識を得ていくうちに、不安がなくなってきました。

むしろ福島県産の市場に出ている食べ物については、農家の皆さんが細心の注意を払ってつくっていたり、しっかりした検査がされていることなどから、誇りを持てるようになりました。

 

福島県内では毎日のニュースや新聞でも放射能の情報が伝えられていています。その情報をしっかり受け止めるためにも、私たちは基本からあらためて、放射能についてこれからも学んでいきたいと思います。

 

 

初めての相馬野馬追

2018年7月23日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

相馬野馬追が今週末に開催となりました。いよいよ、という感じです。
浪江町内の会場となる中央公園も草刈りなどで整地され、きれいになりました。

 

 

震災/原発事故以来8年ぶりに、浪江町内で出陣式や凱旋行列がおこなわれる今回ですが、この相馬野馬追にずっと「出たい!」と思いながら今年初めて願いを叶えた方のお話しを伺いました。

浪江町役場に勤める鈴木智和さん、42歳。

 

 

野馬追は小さいころから観ていて、双葉町から浪江町に向かって闊歩する馬を家の近くで見たり、町内のお行列や中央公園の神旗争奪戦に「かっこいい」「野馬追を観ると、浪江に夏が来たって感じた」などと思っていたそうです。
しかし、代々野馬追に出ていた家系というわけではなく、本当に初めての出陣。

 

もともと、行事ごとなどを見たり手伝ったりするよりも「自分もやってみたい、出てみたいと思う性格みたいなんです」ということで、野馬追にも10年ぐらい前から「出たいなあ」と思っていたそうです。

 

「相馬野馬追は単なるお祭りではなく、ずっと続いてきた『神事』なんですよ」と本人もおっしゃるように、出たいからとすぐ出れるわけではなく、お世話してくださる方と知り合ったことで、ようやく今年「まぜてもらうことができた」と話していました。

 

「実は今まで馬に乗ったことも触ったこともなかった」ということで乗馬自体も初めて。今年春ごろから練習を重ねて来ましたが「難しい」「うまくいかない」とのこと。

 

一方で「馬との接し方や性格が、わかってくるようになった」と話し、残りあと1週間は「当日乗馬する馬に毎日乗って練習を続けたい」と話していました。

 

 

8年ぶりに町内でお行列等が復活することについては「浪江から野馬追がやれることは町民として、うれしい」と喜びつつ「自分のことで精一杯、ちゃんとやれるんだろうか。不安しかない」と話してくれました。

 

当日は、お世話をしてくれた方々が出陣する立野地区から出陣し、中央公園までの道のりをまずは進みます。
29日に南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地でおこなわれる「神旗争奪戦」については「出れる力が自分にあるのか。まだわからないが、技術と気合が整えば出てみたい」と意気込みを語ってくれました。

 

無事に浪江に戻って来られることをお祈りいたします。
鈴木さん、頑張ってください!

 

 

浪江町内を会場とする標葉郷の野馬追祭は、7月28日8時ごろから出陣式(中央公園)~8時30分出陣および町内御行列、翌7月29日は16時ごろから標葉郷騎馬凱旋行列、そして中央公園を会場に標葉郷神旗争奪戦が17時ごろからおこなわれます。

8年ぶりの浪江町での相馬野馬追、ぜひご覧ください。

 

 

 

請戸の田植え踊りを観て

2018年7月20日

こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。

先日、いわき市のアクアマリンパークにて行われた「千度大祓(せんどおおばらい)」にて請戸の田植え踊りが奉納されました。その様子をお伝えします。

 

田植え踊りは東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた請戸地区に伝わり、震災後もずっと踊り継がれています。

 

これまでも千度大祓で毎年披露されてきたほか、浪江町民の避難先である仮設住宅などでも披露され、町の皆さんを励ましてきました。

今年2月には、本来田植え踊りが披露されていた苕野(くさの)神社で「安波祭(あんばまつり)」が復活し、震災後は初めての奉納となるなど、これまで以上に注目されていると言えます。

 

このところ記録的な猛暑続きで、千度大祓が開かれた7月15日は日差しも強い中、踊り手の皆さんが建物の日陰で出番を待っていました。

いよいよ踊りの披露となります。

 

 

 

かわいらしく、また、難しそうな踊りをしっかりと舞っている姿は感動的でした。

震災前から踊り続けていて、大学3年生になるという女子3人は「疲れたー」と言いながらも笑顔でした。

 

 

請戸芸能保存会の渡部忍会長は「あの震災で生き残った自分たちは”生かされている”と思っている。今回もこれまでも、いろんな人と関わることができコミュニティが築けている」などと話してくださいました。

 

本来は、請戸地区の小学生の子どもたちが中心に踊り手となる請戸の田植え踊り。

今回は福島市で日本舞踊を習っている小さい子らに応援をお願いしたそうです。
初めて踊ったという小学3年生の二人(8歳と9歳)は「楽しかった」「伊勢音頭は難しかったけど、いっぱい練習したから上手になった!」など、楽しそうに感想を話してくれました。

 

災害危険区域となり、住むことのできなくなった請戸地区。

震災から7年以上が経ち、避難先での暮らしも固まっていて、果たして今後どのように地域のつながりを保っていけるのか。大きすぎる課題があります。

そんな中で、この請戸の田植え踊りもどういった形で継承していけるのか。難しい問題だと思いますが、そっと見守りつつ、何かお手伝いできればと考えています。

 

 

アユを食べながら感じる、以前の地域の姿

2018年7月17日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

7月14日から15日にかけて、JR浪江駅から徒歩5分のふれあい広場を会場に『なみえ まちづくりを考える駅近キャンプ』が開かれました。

 

 

平成29年度からなみえまちづくりCAMP実行委員会が取り組み始めたもので、今年は6月に続き2回目の開催となりました。

まちづくりを考えると言っても堅苦しいものではなく、例えば今回はこの季節の旬の幸でもある「新鮮なアユをその場で焼いて食べよう」がテーマの一つ。

 

まずはアユを刺す竹串を作らねばということで、竹細工を教えてもらおうと、ゲストに大堀地区の畑川行政区 齊藤基区長ら3人をお迎えしました。

 

 

(ちなみに浪江町では、残念ながら原発事故後は漁や釣りが禁止されています。アユの捕獲も調査のため試験的におこなわれているのみとなっておりますので、今回は宮城県から養殖の生きたアユが運び込まれました)

東京や関東など遠方から社会人のグループ、大学生など若い方の参加も多く、素早く出来上がる竹串や箸に「すごい!」「つくってみたい!」など興味津々の様子。
ナタやナイフで竹串や竹のお箸、竹のコップを作ったり、おそるおそるアユを竹串に刺す体験まで、いろいろと3人のゲストの方に教えて頂きました。

 

 

炭火で焼いた新鮮なアユを、夏の夕暮れに野外で食べるなんて最高の体験です。

 

齊藤区長からは震災/原発事故前の畑川地区の様子を教えてもらいました。

 

 

写真は、高瀬川を臨む川沿いの自分の土地にある桑原信一さんの小屋で、なんと手作りなのだそうです!

 

 

室内はこんな感じで、囲炉裏があって高瀬川が眺められて、川で採ったアユをすぐ焼いたり、サンマも焼いたり。この小屋は地域の人が自然と集まれる場になっており、盛り上がって活用していたそうです。

これは紅葉の時期の高瀬川です。

 

 

「すごいーーー」
「最高じゃないですか!」
「ぜいたくーーー」
など、写真を観た方から歓声があがっていました。

 

浪江町内でも山間部の畑川行政区では震災以前から、将来的な地域の在り方に危機感をいだいていたそうで、「10年先は限界集落」などと話に出ていたそうです。

そんな中でも町外から畑川に移住して来た方がいたりと「もしかすると、地域を維持していけるのでは」と希望も持てたそうです。
活性化への動きも少し出ていたとのこと。

 

そうした矢先、東日本大震災と原発事故が起きてしまいます。
「今は皆、避難でバラバラになってしまった」と残念そうに話していました。

 

しかし今回、竹細工の指導やアユの塩焼きの世話などで大活躍した3人は帰りがけに
「とても楽しかった」
「浪江から(避難先に)帰りたくねぇなあ…」
などとおっしゃっていたそうです。

 

私たちも、今は自由に入ることのできない地域の以前の姿を感じたり知ることが出来て、とても貴重な時間でした。

 

 

畑川地区そして高瀬川渓谷と、今は帰れない場所でもそこに住民の皆さんの素晴らしい暮らしがあったことは確かです。

 

このブログをご覧の皆さんにはそんなことも感じて頂こうと、何かこのような形で、地域の以前の姿を発信していきたいと思っています。

 

 

相馬野馬追が近づいてきました

2018年7月13日

こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。

7月に入り浪江町の街なかにも相馬野馬追の旗指物(はたさしもの)が掲げられるようになってきました。

 

 

町内でのお行列は震災・原発事故後は初めてで8年ぶりとなるもので、旗が掲げられているルートを騎馬武者たちが闊歩するそうです。

地域づくり支援専門員も町民の皆さんの声を聴くため町内を周っていますが、訪問先でも相馬野馬追の話題があがることが増えてきました。

 

先日お伺いしたお宅では、奥さんが相馬流れ山保存会 浪江支部で相馬流れ山踊りをされているそうです。

震災前は会員の方が80人ぐらいはいたそうですが、いまは40人ぐらいとのこと。

それでも福島市と二本松市を練習場所に、皆さんが各避難先から通って月に1回、練習しているそうです。

震災後は色々な場所に呼ばれて踊りを披露することも多かったそうで、東京都渋谷区のイベントでも踊ったとか。

その時の写真がこちら。

 

 

「行ったことのない都会のど真ん中で踊るのは緊張した」

「東京の親戚や友達もいっぱい観に来てくれたのは嬉しかった」

など感想を話して頂きました。

 

今年の相馬野馬追二日目に、騎馬武者たちが本祭りの会場である南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地から戻ってくる(帰り馬)の際にも、中央公園を会場に相馬流れ山踊りが披露されます。
もちろん、野馬追で浪江町内で流れ山踊りが披露されるのはこちらも8年ぶりとなります。

本来なら町役場から中央公園までの道路でも、踊りながら進んで来ていたそうですが、それはまた来年以降の楽しみになりそうです。

標葉郷の野馬追祭は7月28日(土)が出陣式と町内御行列、29日(日)が標葉郷騎馬凱旋行列・標葉郷神旗争奪戦となっています。

浪江駅近くの中央公園を中心に、50騎ほどの勇壮な騎馬武者たちの姿が見られる予定です。

楽しみですね!