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こんにちは、地域づくり支援専門員の河原です。
8年ぶりとなった標葉郷野馬追祭が無事、終わりました。
BLOG”なみえの今”では今回から4回に分けて、野馬追の様子や私たちの感想をお伝えします。
神奈川県出身で、今年から浪江町に住む私は出陣の様子を初めて見ました。
会場となる中央公園には町内や避難先から、浪江町、そして双葉町・大熊町の騎馬武者たちが集合しました。
今年は56騎も集まったそうです。
会場が広いため、大きな馬が早足で走り回っても十分なスペースがあるのですが、近くで見るとその迫力に圧倒されます。
時々大きな声でいなないたり、急に後ろに下がったり、馬からは目が離せません。
一人の少女が、お父さんお母さんと一緒に見に来ていました。
キョロキョロと馬の挙動を追いながら、熱心に様子を伺っています。
将来大きくなって、女性騎馬として出陣するかもしれませんね。
いずれにしても、夏休みの大切な思い出になったことでしょう。
騎馬武者たちはいよいよ中央公園から出陣。中心部を一巡、練り歩きます。
なみえの街中は今、至る所で解体作業が行われています。
来年にはどんな景色が見られるのでしょうか。
今度は建設ラッシュになっているかもしれません。
いずれにせよ、8年ぶりに復活した「標葉郷野馬追祭」がいつまでも続くように、願ってやみません。
8月2日から、町内の国道399号、国道459号など、東京電力福島第一原発事故にともなう帰還困難区域でこれまで通行を制限していた道路が、一部で自由通行再開となりました。
各道路とも自由通行となった個所は既に除染され、通行した際の積算被ばく線量などの発表を見ても、一時的に通過する分には特に問題はないと個人的に感じました。
さっそく2日の午後に、視察してきました。
写真は自由通行再開となった
県道35号のいわき浪江線(約4.7キロ区間が自由通行となりました)
県道253号の落合浪江線(約3キロ区間が自由通行となりました))
です。
(114号線から県道35号いわき浪江線、いわき方向を臨む)
(県道35号線から、橋を越えてこれまで通行できなかった県道253号線落合浪江線へと曲がります)
国道399号で自由通行となったのは葛尾村境-国道114号間の約4.2キロ、国道459号では川俣町境-国道399号間の約4.0キロです。
この2つの道路の自由通行化は、帰還困難区域である津島地区から中通り方面に避難している住民の方が一時帰宅や浪江町内と行き来する際、便利になるだろうとされています。
津島の大昼行政区 佐々木保彦区長は「一時帰宅するのに、ちょっと近くなった」「私が使う場合だと、ゲートが一つ分減るから良くなったよね」とアクセス面で向上した点を喜ばれました。
(114号線から中通り方面へ。この先を左に曲がり399号国道や459号国道へと自由通行できるようになりました)
(この先が自由通行で都路や二本松へとつながりました)
(399号線。葛尾、いわきへつながります)
さっそくお仕事や用事でご利用されている方も多いようで、何台かの車とすれ違いました。
間もなくお盆となります。
お墓参りでの一時帰宅で、より多くの方が利用され、浪江町をもっと身近に感じて頂ければと思います。
地域づくり支援専門員、今野がお伝えしました。
こんにちは。
地域づくり支援専門員の今野です。
まちづくりなみえでは、スタッフが放射能について学ぶ勉強会を定期的に開いています。
環境省事業「放射線リスクコミュニケーション相談員支援センター」の全面的な協力で、専門家の杉浦紳之さんを講師に招いて6月、7月と、これまで2回勉強会を開きました。
写真は1回目の様子で、目に見えない放射線を「霧箱(きりばこ)」を使うことによって見てみよう、というものです。
この霧箱は1897年にチャールズ・ウィルソンが発明した古典的な装置の一つなのだそうです。
すごく簡単に説明するならば『放射線の電離作用により、霧箱の中に現れる飛跡を確認できる装置』です。
つまり放射線そのものではなく、放射線が飛んだ跡の「飛跡(ひせき)」で見えない放射線を認識することができるというものなのです。
実は小学校の放射線教育では活用されているのですが、一般向けの講習や講演会などでは使われる機会が少ないようです。
目に見えないと言われる放射線が見られれば、興味深々です。
「なんで線が細かったり太かったりするんだ?」「線が曲がったり、短い線もある」など、放射線を実際に見ることで質問がどんどん飛び出し、疑問に答えてもらうことをきっかけに様々なことを知ることが出来ました。
7月に開かれた2回目の勉強会では、内部被ばくについて知ろう、ということで事前に受診したホールボディカウンター(内部被ばく検査)の検査結果を見ながら議論を進めました。
いわゆる放射能の講演会では講師の方が1時間ぐらい話した後、質疑応答となることが多いようですが、私たちの場合は講義中にも気になったことはどんどん質問していきます(笑)。しかし、このような対話のかたちで講演が進行することで、理解が深まっているように感じます。
このような感じで2回目の勉強会も放射能に関していろいろと学びました。
さてホールボディカウンターの受診結果ですが、浪江町で暮らすスタッフ一同、内部被ばくはしておらず(今回の測定でのセシウム134の検出限界は130Bq、セシウム137の検出限界は180Bq。正確には、それぞれの値までのセシウムは見つからなかったということですが、限りなくゼロに近い、ほぼない、という理解で良いと思っています)、当然のことですが現在の浪江町および福島県内で日常を過ごし、市場に出回っている県産の食品を頂いても、まったく問題は無いということを感じました。
私自身、原発事故直後は食品や内部被ばくについてとても不安を感じていました。
しかし放射能について学んで知識を得ていくうちに、不安がなくなってきました。
むしろ福島県産の市場に出ている食べ物については、農家の皆さんが細心の注意を払ってつくっていたり、しっかりした検査がされていることなどから、誇りを持てるようになりました。
福島県内では毎日のニュースや新聞でも放射能の情報が伝えられていています。その情報をしっかり受け止めるためにも、私たちは基本からあらためて、放射能についてこれからも学んでいきたいと思います。
こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。
相馬野馬追が今週末に開催となりました。いよいよ、という感じです。
浪江町内の会場となる中央公園も草刈りなどで整地され、きれいになりました。
震災/原発事故以来8年ぶりに、浪江町内で出陣式や凱旋行列がおこなわれる今回ですが、この相馬野馬追にずっと「出たい!」と思いながら今年初めて願いを叶えた方のお話しを伺いました。
浪江町役場に勤める鈴木智和さん、42歳。
野馬追は小さいころから観ていて、双葉町から浪江町に向かって闊歩する馬を家の近くで見たり、町内のお行列や中央公園の神旗争奪戦に「かっこいい」「野馬追を観ると、浪江に夏が来たって感じた」などと思っていたそうです。
しかし、代々野馬追に出ていた家系というわけではなく、本当に初めての出陣。
もともと、行事ごとなどを見たり手伝ったりするよりも「自分もやってみたい、出てみたいと思う性格みたいなんです」ということで、野馬追にも10年ぐらい前から「出たいなあ」と思っていたそうです。
「相馬野馬追は単なるお祭りではなく、ずっと続いてきた『神事』なんですよ」と本人もおっしゃるように、出たいからとすぐ出れるわけではなく、お世話してくださる方と知り合ったことで、ようやく今年「まぜてもらうことができた」と話していました。
「実は今まで馬に乗ったことも触ったこともなかった」ということで乗馬自体も初めて。今年春ごろから練習を重ねて来ましたが「難しい」「うまくいかない」とのこと。
一方で「馬との接し方や性格が、わかってくるようになった」と話し、残りあと1週間は「当日乗馬する馬に毎日乗って練習を続けたい」と話していました。
8年ぶりに町内でお行列等が復活することについては「浪江から野馬追がやれることは町民として、うれしい」と喜びつつ「自分のことで精一杯、ちゃんとやれるんだろうか。不安しかない」と話してくれました。
当日は、お世話をしてくれた方々が出陣する立野地区から出陣し、中央公園までの道のりをまずは進みます。
29日に南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地でおこなわれる「神旗争奪戦」については「出れる力が自分にあるのか。まだわからないが、技術と気合が整えば出てみたい」と意気込みを語ってくれました。
無事に浪江に戻って来られることをお祈りいたします。
鈴木さん、頑張ってください!
浪江町内を会場とする標葉郷の野馬追祭は、7月28日8時ごろから出陣式(中央公園)~8時30分出陣および町内御行列、翌7月29日は16時ごろから標葉郷騎馬凱旋行列、そして中央公園を会場に標葉郷神旗争奪戦が17時ごろからおこなわれます。
8年ぶりの浪江町での相馬野馬追、ぜひご覧ください。
こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。
先日、いわき市のアクアマリンパークにて行われた「千度大祓(せんどおおばらい)」にて請戸の田植え踊りが奉納されました。その様子をお伝えします。
田植え踊りは東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた請戸地区に伝わり、震災後もずっと踊り継がれています。
これまでも千度大祓で毎年披露されてきたほか、浪江町民の避難先である仮設住宅などでも披露され、町の皆さんを励ましてきました。
今年2月には、本来田植え踊りが披露されていた苕野(くさの)神社で「安波祭(あんばまつり)」が復活し、震災後は初めての奉納となるなど、これまで以上に注目されていると言えます。
このところ記録的な猛暑続きで、千度大祓が開かれた7月15日は日差しも強い中、踊り手の皆さんが建物の日陰で出番を待っていました。
いよいよ踊りの披露となります。
かわいらしく、また、難しそうな踊りをしっかりと舞っている姿は感動的でした。
震災前から踊り続けていて、大学3年生になるという女子3人は「疲れたー」と言いながらも笑顔でした。
請戸芸能保存会の渡部忍会長は「あの震災で生き残った自分たちは”生かされている”と思っている。今回もこれまでも、いろんな人と関わることができコミュニティが築けている」などと話してくださいました。
本来は、請戸地区の小学生の子どもたちが中心に踊り手となる請戸の田植え踊り。
今回は福島市で日本舞踊を習っている小さい子らに応援をお願いしたそうです。
初めて踊ったという小学3年生の二人(8歳と9歳)は「楽しかった」「伊勢音頭は難しかったけど、いっぱい練習したから上手になった!」など、楽しそうに感想を話してくれました。
災害危険区域となり、住むことのできなくなった請戸地区。
震災から7年以上が経ち、避難先での暮らしも固まっていて、果たして今後どのように地域のつながりを保っていけるのか。大きすぎる課題があります。
そんな中で、この請戸の田植え踊りもどういった形で継承していけるのか。難しい問題だと思いますが、そっと見守りつつ、何かお手伝いできればと考えています。