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こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
町内の年末年始は比較的穏やかな天気でした、皆さんはゆっくり過ごされましたか。
今回は幾世橋地区の年末の地域活動を紹介します。
幾世橋、北幾世橋北・南行政区では地区の年間活動として、年に数回環境美化活動が行われています。
12月25日年内最後の日曜日、地域の皆さん約20名が初発神社に集合。これから地区内の神社を清掃し、お正月を迎える準備を整えます。
また今回は、清掃活動の前に、初発神社社務所の地鎮祭も執り行われました。
以前の社務所は大正9年に建てられ、長い間地域の皆さんの集う場として利用されてきましたが、東日本大震災により大きな被害を受け、やむなく解体となってしまいました。
コロナや資材高騰により遅れがでたものの、ようやく工事開始の目処がたち、皆さんが集まるこの日に地鎮祭を執り行う運びとなったようです。
春ごろから工事を開始し、来年2024年のお正月には完成させたいとのこと。
田村宮司は「50年100年の将来を担う子どもたちが誇れる幾世橋地区にしていくなかで、心の拠りどころとして神社は大切と考えている。神社が地区の中心として皆さんと共に復興を成し遂げられるよう努力していく。」とお話されました。
“子どもたち”というお言葉がありましたが、私も学生時代に地元の神社で遊んだ記憶が鮮明に残っており、神社は“いつもの場所”でした。大人になり地元の神社を訪れる機会は減りましたが、心の拠りどころという感覚は今も残っています。
この初発神社で子どもの声が響いたり、学生同士で語り合う姿があったり、そんな未来の光景に思いを馳せながら、私も宮司の話に耳を傾けました。
地鎮祭が終了すると、皆さん竹ぼうきを持ち、さっそく清掃開始です。
初発神社の次は山津見神社、八幡神社、稲荷神社と移動し作業をすすめます。
手際よく手を動かしながらも、皆さんそれぞれに近況を伝えあい談笑する姿が見受けられました。
神社4か所を清掃後、初発神社に戻り解散です。
最後は区長からの連絡があり「総会は、3年連続コロナでストップしていたが次は開催したいと思っています」とのこと。
ここ数年「コロナで総会ができなくて困る。やはり顔を見て集まらないと・・」と町内多くの区長から声を聞いていました。やっと今年は集まる機会も少しずつ戻りそうですね。
清々しいお正月を迎えることができるのは、このような地域の皆さんの活動が土台となっています。
今年もそんな町民の皆さんの姿や活動を発信していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
こんにちは、地域づくり支援専門員の吉田です。
早いもので今年も残りわずかとなりましたが・・・みなさんいかがお過ごしでしょうか?
今回は、11月26日におこなわれた上ノ原行政区の花植え活動についてお伝えします。
上ノ原行政区で2019年から定期的に実施されている、9回目の花植え活動が行われました。
参加者は、区長含め行政区より17名とその他4名。
今回は以前から女性の皆さんの希望であった、けんちん汁の振る舞いも実施されました。
前日のうちから区長や役員の皆さんによって花植えとけんちん汁の準備を進められ、当日は参加者を心待ちにしている状態になっていました。
今回初めて参加されたご家族の中には、可愛らしい小さなお子さんも居てみなさん大歓迎です。
初めに佐藤秀雄区長より、挨拶と花植えの手順の説明がありました。
行政区内の39ヵ所へ配置するために、今回はパンジー・ビオラの2種の苗 計840株を、
280個のプランターに定植していきます。
この日は小ぶりの雨もあり少し寒い日でしたが、まずはみんなで交流しながら温かいけんちん汁をいただきます。
佐藤秀雄区長からのお話の中では、「町内ではもう帰らないと解体をして、世帯数が減っている行政区が多い中、上ノ原行政区は毎年帰って来ている世帯があり、少しずつではあるが住民が増えてきている。」と話されていました。
美味しいけんちん汁をみんなで食べた後は、花植え作業が進められました。
▲まずはじめにプランターに培養土を敷き詰め同じ種類の花を3株ずつ定植します▼
▲ベテランの方も小さな子も手際よく進み沢山のプランターに入れた花の準備ができました▼
▲水やり後は、プランターをトラックに積載し、行政区内の39ヵ所へ配置▼
▲上ノ原行政区にまた彩りが出てきました▼
▲花植え終了後は女性を中心にお茶で交流。とても楽しそうでした▼
浪江に住んでいる皆さんもいらっしゃった皆さんも、上ノ原行政区のお花を是非ご覧になってみて下さい。
今回も上ノ原行政区の皆さん、取材のご協力ありがとうございました。
こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。
今年度、道の駅なみえのギャラリーにて高瀬川渓谷の写真展を開催していたことをご存知でしょうか。帰還困難区域のため立入許可をとり、地元町民にご案内いただきながら撮影した写真を、春・夏・秋と展示しました。(冬編の展示は2月中旬を予定しています。)
そして12月4日にはトークイベントも開催。その名も『みんなで語ろう!高瀬川渓谷』。
多くの町民が「浪江の宝だよ」と話す高瀬川渓谷、今は残念ながら帰還困難区域に指定されているため、日々の景色を見ることができません。
写真を観るだけではなく、皆さんの心にある思い出やエピソードを語り合う時間をもつことも大切ではと、地元町民との会話の中でアイディアが生まれ、当日は畑川行政区の4名の方を中心にトークを繰り広げました。
約25名の参加があり、その中には今年浪江に移住した新たな町民も数名いらっしゃいました。あいさつの後は、さっそく渓谷の動画をスクリーンに映し地点ごとに会話をひろげていきます。
まずは落合浪江線の大堀からスタート。神鳴(かんなり)、一の宮、戸山の大滝、戸神山・・など。最後は行司ヶ滝で締めくくりです。
大堀の地点では、「26㎝の鮎を釣ったよ」「鷹の巣橋は釣りの見物の人が多かったな」など、さっそく釣りの話題で盛り上がりました。やはり、釣りのエピソードは多くの方がお持ちのようです。一の宮の地点では「町外県外などのお客さんが来たら、まず一の宮に案内しました」戸神山入り口の動画になると「戸神山は何度も登ったわ!」など、登壇者だけではなく、参加の皆さんも動画を観ながら記憶がよみがえってくるようです。自身と川のエピソードをたくさん話して下さいました。
このトークイベントの告知を開始してから「自分も撮った写真があるから、探してみた」などと3名の町民の方からご連絡をいただきました。
そのなかには、現在は木々が生い茂り見に行けないと聞いていた『白糸の滝』の写真もあり、なんと50年前に撮影したとのこと!
貴重な写真に驚いたと同時に、高瀬川渓谷は半世紀前、さらに以前から町民を魅了し続けていた場所なんだと改めて感じました。
最後に、登壇者や参加者の感想として。
・ドローンで見てみたい。
・自分たちの故郷はいいところなんだと、改めて感じた。
・魚を釣り、山菜をとり生活していた。ここは自分たちの生活の場所。震災前は地元のみんなで手入れし維持していた。今はそれができず、今後の維持が問題。
・町の大切な観光資源。早く除染がすすみ、復活できるように。
今回の写真や動画で初めて高瀬川渓谷を見たという移住者の方もいます。まず“現状を知る”ということで、高瀬川渓谷を身近に感じていただけたのではと思います。
多くの町民が知っている“渓谷と共にある豊かな時間”を思い出し語り合うことで、素晴らしさを改めて実感し、更に“浪江の宝・高瀬川渓谷”の今後を考える、そんな一歩になったのではと思っています。
こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
帰還困難区域の室原地区でも、特定復興再生拠点では来春の避難指示解除に向けた動きとして作業車の出入りなど、少し慌ただしさを感じるようになってきました。9月1日に始まった準備宿泊も、登録された方はまだ少ないようですが、景色には変化が少し見られてきました。
今回は、神社の再建についてお伝えします。
以前お伝えした際は、再建するかどうか未定だった八龍神社と秋葉神社ですが、再建に向けて修復作業が進められています。
秋葉神社ではすでに修復が終わりました。
八龍神社も修復作業が進められています。毎日大工さんが入り、手入れしているようです。
地震での被害と、その後11年が経つ中での傷みなどあるようですが、地道な作業で修復されているようです。
「今年中に仕上がるか、少し微妙なところかな…」などとおっしゃっていました。
先日の『ふるさとの祭り』で神楽を披露された、室原郷土芸能保存会の宮口勝美会長は「秋葉神社、八龍神社の修復とともに改修祝いとお披露目のため、大きい規模ではないが遷宮祭をやりたいと思っている」などと考えを話しています。
「会員が散り散りに避難している現状で難しくはあるが、神楽と田植え踊りは奉納できるよう努めたい」とのことで、神社が再建した後、過ごしやすい気候の時期に開催~奉納できればとおっしゃっていました。
以前、小澤晴久区長に昭和55年の時の遷宮祭の写真をいただきました。7年に1度で震災前まで続いていた室原の遷宮祭ですが、昭和55年は近年の中でも規模が大きく『本遷宮』となるそうです。
大変貴重な写真かと思います。
八龍神社での民俗芸能と、沿道の国道114号でのお行列の写真を何枚か掲載します。
40年ほど前の室原の遷宮祭の様子、いかがでしょうか。
室原の特定復興再生拠点内の様子は、引き続き定期的に発信していきたいと思います。
苅宿地区にある標葉神社で、11月13日に例大祭が開かれました。
標葉神社の例大祭は、毎年11月の第2日曜日に開くことになっているということですが、新型コロナウイルスの影響で役員のみで簡素化し開いて来たそうです。
今回も出席者は氏子総代ら役員のみにしたものの、久しぶりに浦安の舞や苅宿の神楽の奉納などを含めた例大祭として開かれ、井瀬信彦宮司らによる祝詞奏上や玉串奉奠が執りおこなわれました。
標葉神社は苅野地区一円の神社として、役員は苅野全域の方々で構成されているということです。
神長倉正満氏子総代会長に、標葉神社の年間行事予定などを見せていただきました。1月の年始祈願から始まり、幣束祭、年末の大掃除や大祓い祭など、様々な行事があるようです。
例大祭で使われる神社のしめ縄も準備作業として、祭りの1週間前に役員の方5~6名が集まって手づくりするそうです。
神長倉会長はあいさつで「ある程度本格的な、例年通りの開催となり大変うれしく思う。皆さま方のおかげだ。これからも続けていきたい」などと述べました。
また、井瀬宮司は「鎮守の森から笛や太鼓の音が聴こえてくることで、人々はあぁ…(いいなあ)と感じてくれる。心の平和や安心が生まれていくのが、一番の復興かと思う」などと無事に例大祭が執りおこなわれた想いを述べました。
標葉神社には御神酒殿があり、以前の復興祭の際にもどぶろくが奉納されましたが、今回はつくらなかったということです。お酒は届け出を出し、直会(なおらい)の時に集まった皆さんで感謝して味わうためにつくっているということですが、今回はコロナ禍で直会はおこなわないことから、どぶろくづくりは見送ったということです。
また、そもそもどぶろくをつくるためには毎日の確認作業などが必要で「役員も散り散りに避難する中、お酒づくりはなかなか難しい」ということでした。
だいぶ昔には芸能保存会が焼きそばなど様々な屋台を境内に出していた時期もあったそうで、賑やかだった様子をうかがいました。
時代の移り変わりとともに、そこまでの規模での開催は難しいとは思いますが、来年以降はコロナも落ち着き、地域の人々が再会できる場としてこの例大祭が開催できれば良いだろうな、そんな風に思いました。
地域づくり支援専門員 今野がお伝えしました。