なみえの今

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ふるさとの民俗芸能写真展より⑥<津島編>

2021年7月31日

地域づくり支援専門員 今野です。
6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」、最後は津島編をお届けします。

津島には、南津島、上津島、下津島、赤宇木の四つの田植踊りが伝えられています。
五穀豊穣や家内安全を祈る儀式で、三百年ほどの歴史があるとされています。


原発事故にともなう避難の影響で継承が危ぶまれていますが、南津島の田植踊りと赤宇木の田植踊りは記録映像の撮影などをきっかけに復活を果たしています。

▲(上2枚とも)平成31年2月3日撮影 南相馬市民文化会館で開かれた南相馬市の民俗芸能発表会にゲスト参加し田植踊りを披露しました

今回の写真展、津島地区では「南津島の田植踊り」と「赤宇木の田植踊り」を展示しました。

南津島の田植踊りの様子はこちら→『南津島の田植踊りが披露されました』

赤宇木の田植踊りの様子はこちら→『赤宇木の田植踊り発表会』

以下、「うつくしま電子辞典(福島県教育委員会)」より転載させていただきました。

注)「おどり→踊り、まき→巻き、はでな→派手な、種下ろし→口説き(種下ろし)、まじる→混じる、かかわる→関わる、さいごに→最後に、のこり→残り、のべて→述べて、ちがいが→違いが」と一部表記を変更しています。

踊りには、手ぬぐいをねじって頭に巻き、派手な長襦袢をつけた鍬頭、紋付きに脇差をさした口説き(種下ろし)、 太刀をさし小太鼓を持った太鼓、 少年が絣の着物を着てささらを持つささら、 青年が紋付き着物と帯で女装した早乙女などの役割があり、すべて男性が演じ、 決して女性が混じることはありません。
踊りは鍬頭の口上に始まり、稲作に関わる年間行事が次々と演じられます。最後に鍬頭が一人残り、祝言を述べて終わりとなりますが、四つの集落それぞれに細かな点では違いがあります。

▲(上2枚とも)令和2年2月3日撮影 南相馬市民文化会館で開かれた南相馬市の民俗芸能発表会にゲスト参加し田植踊りを披露しました

原発事故前の写真も加えました。三瓶宝次さんよりご提供いただいた写真で、平成20年に津島のつしま活性化センターを会場に伝統芸能の発表会が開かれた際のものです。写真は南津島の田植踊りですが、四つの田植踊りがそれぞれ披露されました。

全域が帰還困難区域の津島はもちろんのこと、散り散りに福島県内外に避難し10年以上が過ぎた今、浪江町の民俗芸能の継承には各団体とも大きな問題を抱えていると言えます。原発事故から10年が過ぎ、当時の担い手も10歳の年齢を重ねました。
集まること自体が難しく、もし集まったとしても1回で伝えきれるものでは決してありません。
そもそも、地域の中にある集会所などに集まり、日常生活を送りながら何度か練習を重ねていくことが継承に加えて地域コミュニティの一つの要素だったはずです。
いつ、どのように取り戻していくことができるのか、想像もつきませんが町内の各地域に豊かな民俗芸能が多数あったことなど、今後も丁寧に伝え続けていくお手伝いができればと思っています。

ふるさとの民俗芸能写真展より⑤<幾世橋編>

2021年7月31日

こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。

6回に分けてお送りしている「ふるさとの民俗芸能写真展」 5回目は、幾世橋地区となります。

幾世橋地区は、初発神社の田村友正宮司より写真をお借りしました。

大切にアルバムに保管されていたなかに、平成13年11月の遷宮祭の写真があり、

地域を練り歩く神輿渡御の様子も展示しました。

▲写真提供 初発神社 田村友正宮司 平成13年11月18日
▲写真提供 初発神社 田村友正宮司  平成13年11月18日
▲写真提供 初発神社 田村友正宮司  平成13年11月18日

標葉郷一番神楽の『初発神社神楽』の奉納。

威勢よく舞う神楽に地域の皆さんも思わず歓声を上げます。子どもも大人も神楽の舞に夢中で、「すごい!」という声が聞こえてきそうです。

浪江町史別巻Ⅱには『1月28日の幾世橋の秋葉神社の祭りには、標葉郷からすべての神楽が集まった。ここでは幾世橋の神楽は最初に奉納したため「郷内一番神楽」ともいわれた。』と記載されています。

▲撮影 まちづくりなみえ  平成31年3月17日
▲撮影 まちづくりなみえ  平成31年3月17日

東日本大震災で甚大な被害をうけた社殿が、平成31年3月に再建されました。

3月に執り行われた竣工祭にて復活を遂げた、幾世橋の男神楽。

獅子頭に角があることから雄といわれています。

角の長さは12㎝あるそうです。

浪江町史別巻Ⅱによると、「相馬昌胤が幾世橋隠居したおり、標葉郷の総鎮守として金ヶ森に初発神社を造営した。その際に築城した城内には養神殿という神殿を建てた。昌胤はこの両社殿を守護するために江戸の彫り師を伊勢に遣わし、二つの獅子頭を造らせた。その一つがこの幾世橋のもので、男神楽。もう一つは棚塩の貴布禰神社のもので、こちらは女神楽といい、夫婦といわれている」と記載されています。


次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。

ふるさとの民俗芸能写真展より④<大堀編> 

2021年7月30日

こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。

6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」について、ブログでもその内容をお伝えしています。

6回に分けてお送りする4回目は、大堀地区となります。

小野田行政区の植田勝明区長より、昭和60年前後の写真をお借りしました。

小野田の正月奉納神楽の様子です。

▲写真提供 植田勝明  昭和60年前後


正月の1日2日、神楽が各家庭をまわり、家内安全・無病息災を祈願し奉納されます。

▲写真提供 植田勝明 昭和60年前後

笛を吹き、太鼓を叩き、12名ほどのお行列が地域内を練り歩きます。

お先回りの役の人は、次の家に行き、神楽の到着を待ちます。そして、神楽が到着次第、また次の家へ向かうそうです。

神楽奉納の様子だけではなく、他の役を担う方の役割や全体像が想像できる一枚です。


次に大堀神楽です。

浪江町最大のお祭り十日市。

震災後、二本松に場所を移して開催されていた『復興なみえ町十日市祭』や『なみえ3・11復興のつどい』でも大堀の神楽は披露されており、多くの浪江町民に喜ばれていたと聞いています。


写真は、町の一部避難指示解除後、地域スポーツセンターで開催された十日市祭での披露の様子です。

幕舞、剣舞、鈴舞、幕舞と順に舞います。

▲撮影 まちづくりなみえ 令和元年11月23日
▲撮影 まちづくりなみえ 令和元年11月23日

力強さを感じる剣舞です。

大堀の神楽は同地区にある愛宕神社を守護神として奉納されています。


次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。


ふるさとの民俗芸能写真展より③<浪江編>

2021年7月30日

こんにちは、地域づくり支援専門員の岸本です。

6月に道の駅なみえのギャラリーで展示した「ふるさとの民俗芸能写真展」では、浪江町の民俗芸能の一部を取り上げました。3回目にご紹介するのは、浪江編です。

写真展で展示した浪江地区の民俗芸能、「川添の神楽」と「樋渡・牛渡の田植踊」について紹介します。

 

川添の神楽は、明治40年頃、修行を積んだ地元の神楽の名人が町民に披露したのが始まりとされています。正月には、川添にある國玉神社に奉納した後、地区内を20戸ほどまわり、悪魔祓いや豊年万作を祈願してきました。

2015年1月1日撮影 本宮市恵向仮設にて
▲2015年1月2日撮影 浪江町民宅にて

川添芸能保存会は、原発事故により一時は中断を余儀なくされたものの、2014年にいち早く活動を再開。2015年の正月には、県内にある仮設などをまわり舞を披露し、町民の皆さんに正月の風景を届けました。上記2枚の写真は、川添芸能保存会にご提供いただいたものです。

2019年10月6日 まちづくりなみえ撮影 南相馬市立中央図書館

上記の写真は、菊池和子さんの写真展「福島 芸能の灯消さず」のオープニングイベントで披露された際の写真です。

幕舞、幣束舞、鈴舞、乱獅子の4演目からなる川添の神楽。最大の特徴は、演目ラストを飾る乱獅子ではないでしょうか。幕の中に多いときは10人ほどを迎え入れて、囃子に合わせ勇ましく舞う姿は圧巻です。

 

続いてご紹介するのは、樋渡・牛渡の田植踊です。

震災前まで、八坂神社の祭礼(7月15日)の前夜に、五穀豊穣や家内安全を祈願し踊られてきました。終戦までは、すべて青年団の男性が継承してきましたが、やがて婦人会などの女性が踊るようになったそうです。

写真は、樋渡・牛渡行政区にある八坂神社の落成式で奉納している様子です。

▲(上2枚)2020年1月12日 まちづくりなみえ撮影 八坂神社

樋渡・牛渡の田植踊は、早乙女(女)と歳蔵(男)はそれぞれ横1列に並び、民謡「流れ山」につれて舞い込みます。

早乙女は赤の着物に花笠をかぶり、一方、歳蔵は股引きに青の着物、頭に鉢巻を巻きます。衣装のコントラストがまた素敵ですね。

樋渡・牛渡田植踊保存会は、震災と原発事故により中断を余儀なくされましたが、八坂神社の落成式で奉納することが契機となり、2019年に活動を再開。定期的な練習会だけでなく、担い手発掘のために体験会を開催するなど精力的に活動されています。

今年度、新メンバーも増えました。現在は、小学生から80代までの幅広い年代の方が所属しており、今後の活躍に期待です。

次回のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。

ふるさとの民俗芸能写真展より②<請戸編>

2021年7月29日

こんにちは、地域づくり支援専門員の引地です。

6月に開催した「ふるさとの民俗芸能写真展」について、ブログでもその内容をお伝えしています。

6回に分けてお送りする2回目は、請戸地区となります。

毎年2月の第3日曜日。苕野神社にて、海上安全・豊漁豊作を祈り、安波祭がおこなわれます。

町の無形民俗文化財に指定されており、約300年前から続く伝統行事です。

近年は2月の第3日曜に行われていますが、かつては2月24日に行われていたようです。

いわき市に住む、西山栄さんより昭和60年代の貴重な写真をお借りできました。

西山さんは昔から安波祭りの写真を撮り続けていたそうです。

▲撮影 西山栄(いわき市) 昭和62年2月24日 
 ▲撮影 西山栄(いわき市) 昭和63年2月24日

苕野神社での奉納の後、踊り手たちはお祝い事があった家や農家、船主、商売をしている家をまわります。

踊りの種類は複数あり、その家によって披露するものが違っていました。

多い年は30件近くも家をまわった年もあったそうです。かつて踊り手は、請戸小学校の4年生から6年生が務めました。



町の一部避難解除後には、津波の爪痕が残る苕野神社にて安波祭が執り行われ、神楽と田植踊が奉納されました。

途中で獅子が観客の皆さんの頭を噛み、周囲から歓声があがります。

獅子頭に頭を噛んでもらうことで、その人の邪気を食べてくれると言われています。

▲撮影 まちづくりなみえ  平成31年2月17日
▲撮影 まちづくりなみえ  平成31年2月17日

相馬流れ山・田植踊・大漁節・伊勢音頭の順で披露します。

天気が荒れる日が多いと言われている安波祭ですが、この年は珍しく快晴となり、多くの観客の前で田植踊が奉納されました。


次のブログでも、引き続き「ふるさとの民俗芸能写真展」についてお伝えしていきます。