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こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。
6月12日から28日まで、道の駅なみえのギャラリーを会場に「ふるさとの民俗芸能写真展」を開催しました。
福島県浜通りには古来より多彩な祭りや踊りなど特色を持った郷土芸能があり、これまで継承されてきました。
浪江町でも各地域で脈々と受け継がれてきた民俗芸能が多数あり、震災と原発事故でほとんどの団体が活動中止を余儀なくされてはいますが、その発信と写真を通じて町の皆さんがつながる機会が生まれないかと思い、企画・制作しました。
地域の人々の心の拠り所となっている、浪江町の民俗芸能の一部を展示した内容から紹介します。
6回に分けてお送りする1回目は、苅野編となります。
多数の民俗芸能が伝えられている苅野地区ですが、今回は「立野下の鳥さし」と「加倉の神楽」について展示しました。
鳥さし舞は、祝福の唱えごとや踊りをおこなう門付芸(かどつけげい)の一種です。
立野下の鳥さしは奴(やっこ)と浦壁三左衛門(うらかべさんざえもん/主人)の二人によって演じられるものです。
昭和40年代の前半まで、毎年1月12日に立野全地区の行事である村祈祷(むらきとう)の際におこなわれてきました。
それ以降は昭和60年代までの間に3回程度しか演じられていないため「観たことがあるという世代も、少ないと思うよ」などと写真を提供された下立野芸能保存会の元会長 矢口一男さんは話してくれました。
大変貴重な写真です。
鳥さしは、奴が小鳥を取って差し出すよう命じられ、ようやく一羽取りますが、それも逃げられて主人から勘当されるといった筋のもので、最後には奴と主人が勝負をします。
続いてご紹介する加倉の神楽は、苅宿にある標葉(しねは)神社で震災と原発事故後初めてのお祭りが開かれた際(平成31年4月7日の復興祭)に披露された写真を展示しました。元加倉芸能保存会の阿部仁一さんによると「震災後に神楽をやったのは、この時だけ」ということでした。
写真はその時にまちづくりなみえで撮影したものです。
加倉の神楽は正月の村祈祷と標葉神社などの祭礼でおこなわれてきました。
正月の村祈祷では昭和30年代ごろまで、当時60戸程度の全戸を2,3日かけて巡りました。
近年は元旦または二日に依頼された15~6軒を巡っていましたが、東日本大震災後は休止しています。
会員も散り散りの避難生活となり、練習や担い手の継承が難しいという課題を抱えています。
調べているうちに「加倉」の地名について書かれた文書を見つけました(平成20年発行 浪江町史別巻Ⅱ”浪江町の民俗”)。
文書によりますと、慶長のころ上立野の烏帽子形山から当時の今神山に葉山神を遷しました。その後神楽を奉納するようになって、この山を神楽の森というようになり、さらに神楽山、そして加倉村になったといわれている、とのことです。
各地域ごとの特色がある民俗芸能を、引き続きブログで紹介していきます。
7月に道の駅なみえのギャラリーコーナーで開いた「相馬野馬追写真展」についてお届けしています。
1本目に続く「相馬野馬追写真展を開催しました(その2)」ご覧ください。
2018,2019年は当ブログでも野馬追の様子をお伝えしています。
以下よりご覧いただけます。
<平成30年(2018年)の相馬野馬追>
<令和元年(2019年)の相馬野馬追>
町内の地域行事などをテーマにした道の駅なみえギャラリーコーナーでの写真展、次回は秋ごろ開催を予定しています。
引き続きよろしくお願いいたします。
7月に道の駅なみえのギャラリーコーナーを活用して実施した写真展は、標葉郷野馬追祭開催に合わせた「相馬野馬追写真展」でした。
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故後、8年ぶりに浪江町で再開された平成30年の標葉郷野馬追祭と、その翌年の令和元年の標葉郷野馬追祭を中心に、震災前の貴重な写真なども展示しました。
鑑賞された来館者の皆さんからは感想ノートに「浪江町の伝統に触れることができてうれしく思います、コロナに負けずがんばってください」「祭りにかけている情熱が感じられた」「いつか祭りができることを!」などの感想をお書き頂きました。
展示した内容をブログでもお伝えします。
写真展の内容を2回に分けてお届けします。
「相馬野馬追写真展を開催しました(その2)」へと続きます。
2018,2019年は当ブログでも野馬追の様子をお伝えしています。
以下よりご覧いただけます。
<平成30年(2018年)の相馬野馬追>
<令和元年(2019年)の相馬野馬追>
町内の地域行事などをテーマにした道の駅なみえギャラリーコーナーでの写真展、次回は秋ごろ開催を予定しています。
引き続きよろしくお願いいたします。
こんにちは。地域づくり支援専門員、今野です。
昨年の相馬野馬追は新型コロナウイルスの影響で、無観客で神事のみを執り行う形式でおこなわれたため、何も観ることもできず、思えばブログで発信することもできませんでした。
今年は当初、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地でおこなわれる神旗争奪戦などは観覧者数に制限をかけるなどし、通常通りの相馬野馬追が開かれる予定でした。
しかし、南相馬市で新型コロナウイルスの感染状況が拡大したことから、相馬野馬追執行委員会は規模を縮小し神事のみ(つまり、昨年同様の形式)で実施することを7月上旬に発表しました。
南相馬市の263騎の出場は取りやめとなった一方、宇多郷(相馬市)と標葉郷(浪江町など)では市街地で騎馬武者行列がおこなわれることとなり、準備が進められてきました。
標葉郷野馬追祭は通常の二日間ではなく一日目のみの開催となり、7月24日(土)に出陣式と、通常と少しルートを変えたお行列、そして凱旋式が開かれました。
昨年とは違い、少しだけ触れる機会ができた相馬野馬追。
今年は、立野のご自宅から出陣される矢口龍彦さん御一家に当日の様子を見させて頂けることになり、矢口家へ向かいました。
矢口さんとつながりのある親族の方ら8騎が矢口家から出発するということで、朝7時過ぎ、それぞれの騎馬武者たちが続々と集まってきました。
昨年はお行列がなかったため、2年ぶりの出陣となります。
矢口さんに感想を聞くと「北郷、中ノ郷、小高郷(南相馬市内の3つの郷)、、、他の郷はお行列が出来ないから、、、想いはあるよね」と行き場のない悔しさと仲間たちへの想いを口にされました。
一行は立野の田んぼを右に眺めながら町の方へと進み、4km強先の西台の林富士雄副軍師宅に向かいます。
途中、出陣されている方の会社関係の皆さんが沿道から飲み物を渡したり「ご出陣おめでとうございます」など、お祝いの言葉を送っていました。
林家へ到着すると御使番(おつかいばん)の方が敷地内を進み、林副軍師の前で「お迎えに上がりました。震災とコロナの中、三代でのご出陣おめでとうございます」など口上を述べました。林家では富士雄さんとお父様の茂さん、息子さんの優太朗さんの三世代が出陣されます。優太朗さんは初陣となり、少し緊張気味のようでした。
林家を出陣する直前には出陣を祝した軍歌斉唱として「相馬流れ山」を馬上から全員で歌いました。
個人宅からのご出陣、お迎えの様子など、なかなか観ることができない貴重な場面に今回は接することができました。オモテには出ない場面かもしれませんが、家族や世代・地域で、こうした伝統をつないできたと思うと感慨深いものがあります。
午前10時前、浪江駅近くの中央公園には続々と騎馬武者が集まってきました。今年の標葉郷の出場騎馬は50騎ということで、その迫力に圧倒されます。
出陣式では吉田数博町長も挨拶し、標葉郷野馬追祭の開催について「避難している町民が、明るい話題というだけではなく、ふるさととのつながりを感じられると思う」などと喜びの言葉を述べました。
矢口家から出陣した8歳の中川心菜(ここな)ちゃんは「馬の上で最初は怖かったけど、だんだん楽しくなっていった」などと感想を話してくれました。お行列に出るのは3回目になるそうです。
実は立野の矢口家から出陣された皆さんは、龍彦さんも町外の避難先から、ご親族も帰還困難区域の双葉町出身で避難中だったりと、この日のためにそれぞれの場所から集っての出陣でした。
避難しながらも、少しでも本来の姿を取り戻そうとする皆さんのご苦労がうかがえました。
お行列を観覧された、町内に住む方に感想をうかがうと「感動した!昨年はできなかったし。浪江町に帰って来て良かったと思った」などと興奮気味に話していました。
林富士雄副軍師は凱旋式が終わったあと「来年は、何はなくとも通常通りの開催が出来れば、それが一番ですね」と、コロナ収束への願いを話しました。
本来の標葉郷野馬追祭は、町民の皆さんが街の中で一緒になって喜びを分かち合えるものだと思います。
地域の安寧や安泰を願う相馬野馬追、来年は新型コロナウイルスも収束し、通常通りに開催できるよう、お祈りしたいと思います。
地域づくり支援専門員 今野です。
夏真っ盛りな中、以前マイプラザがあった北側の道路に沿った西台地区の花壇に、今年もサルビアやマリーゴールドなどが鮮やかな姿を見せています。
先月(6月26日)に花植え作業をおこなってから、ちょうど1か月が過ぎました。
西台地域資源保全会による、この花植え活動。当事業では2019年より交流の場づくりを中心に、後方支援をしています。
今年もチラシの作成をお手伝いし保全会の方以外にも参加を呼びかけたり、作業後の休憩場をつくったりしました。
今年も20名ほどの皆さんでサルビア200本とマリーゴールド200本の合計400本を植えました。
帰還されている方を中心に参加を呼びかけましたが、避難先から足を運んだ方もいらっしゃって「去年は参加できなかったけれど…」などとおっしゃっていました。
当日の朝は小雨がちらつき、天気予報もくもりでしたが作業開始直後から急に晴れ間がのぞき、一気に気温も上がっていきました。
作業は小1時間ぐらいで終了。お茶や飲み物、おにぎりをテント下で食べながらちょっとした交流会です。
コロナ対策として手指の消毒やイスのあいだの距離をとって実施しました。
県内の地方紙2社も取材に来られ、後日各新聞で地域の様子を発信していただきました。
お近くを通った際にはぜひ、西台の花壇をご覧頂ければと思います。