なみえの今

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南津島の神楽(令和元年十日市祭)

2019年12月2日

地域づくり支援専門員、今野です。

浪江町の十日市祭は毎年多くの町民の方が集まり「久しぶりー!」という声が聴こえるなど、会場のあちこちで町の皆さんが談笑している様子が見受けられます。

この十日市祭では様々な露店やブース、イベントなど出し物も多種多様に繰り広げられますが、郷土芸能のステージもみどころの一つかと思います。

今年もいくつか披露された郷土芸能の中で、2日目の11月24日、屋外ステージでは南津島の神楽が披露されました。

演舞中はあいにくの雨で、屋根のあるスペースから観客の皆さんは遠巻きに眺めていましたが、保存会の皆さんの熱演は素晴らしいものでした。

南津島の神楽は、ひょっとこが出てきてちょっとユーモラスです。

ひょうきんな動きもあって、お客さんが笑いながら楽しんでいる姿が印象的です。






南津島郷土芸術保存会の会長を務める三瓶専次郎さんは「雨だと終わった後の道具や着物類の管理が大変なんだよ、ちょっと困るよねぇ」などと話していました。

踊るだけではなく、前後の準備や管理が大変なんですね。

南津島では避難で散り散りに皆さんが暮らす中、精力的に郷土芸能の活動をおこなっています。

以下の写真は10月6日に南相馬市で開かれた郷土芸能発表のイベントに参加された時の様子です。

この南津島の神楽、12月21日(土)には東京国際フォーラムで開かれる「ふくしま大交流フェスタ2019」会場のメインステージのプログラムの一つ「ふるさとの祭りステージ」でも披露されます。

とても貴重な機会です。皆さんもぜひご覧ください。



赤宇木の田植踊り発表会

2019年12月2日

11月17日、浪江町津島の赤宇木(あこうぎ)地区に古くから伝わる「赤宇木の田植踊り」が東日本大震災と原発事故後、初めて披露されました。

前回の披露は平成20年の2月に津島の活性化センターだったということで、およそ11年ぶりの田植踊りとなりました。

復活へ向けては、福島県内の民俗芸能団体を支援するNPO“民俗芸能を継承するふくしまの会”の後押しも強く、福島県内外各地で避難生活を続けている赤宇木地区の皆さんが集まって、前日の16日は記録映像の撮影、この日は観客を入れての発表会を開きました。

(体の動きがわかるよう衣装ではなく普段着で、記録撮影を進めます)
(発表会ではまず「赤宇木の神楽」が披露されました)

以前ご紹介したように(「2019年2月 南津島の田植踊りが披露されました」)、津島地区には4つの田植踊りがありますが、それぞれ微妙に踊りも衣装も違うと聞きます。

(鍬頭~くわがしらの着付け)
(注目が集まる発表会での披露)

赤宇木では神楽、田植え踊りの役あわせて14人を赤宇木郷土芸術保存会のみなさんが担当し、この日に向けて練習を続けてきました。

赤宇木の区長で赤宇木芸術保存会の顧問を務める今野義人さんは「震災前から、地域の田植踊りを絶やしたくないと取り組んだ。原発事故で津島が帰還困難区域になり、散り散りに避難して復活は絶対に無理だと思っていたが、NPOの支援もあって、みんなでやってみようという気持ちになれた」などと話しました。


(子ども達も熱演)

踊りには赤宇木の若い世代や小学生も加わりました。

「ささら役の子ども達は初めて踊るし、避難先から集まっての練習も大変で、難しかった。もっと求めたい面もあるが、少ない練習でよくやれたと思う」と、現在保存会の会長を務める今野信明さんは話していました。


津島地区の4つの田植踊り、私も拝見するのは南津島に続き2団体目ですが、確かにそれぞれに違いがあるなあと感じることができました。
これは、それぞれの地域の個性と言えますし、できることなら一つ一つの踊りを残して行くことが理想である…そう感じたのは確かです。

(最後は和やかに記念撮影)

発表会の会場となったのは二本松市の男女共生センター研修ホール。

会場内の雰囲気がなんだかとても良くて、発表会までは緊張感もあるものの、親戚同士が集まっているような、座っていると不意に目の前にお漬物や果物がタッパーに入って「食べて」と出てくるような感じで(笑)、心地よい「ふるさと」の場になっていたような気がします。


記録撮影や本番の撮影など、ひととおりの作業が終わると皆さんほっとした様子でした。記録化したことで、いつの日か復活できるだろうと安堵感を持たれたのかと思います。
しかし、難しいとは思いますが、今後も定期的に披露する機会などを持っていただければ嬉しいなあと、そんな風に感じました。

またいつか、ぜひ観てみたいです。

地域づくり支援員、今野がお伝えしました。

南津島の田植踊りが披露されました

2019年2月16日

地域づくり支援員、今野です。

2月3日、南相馬市の民俗芸能発表会が市民文化会館ゆめはっとで開かれました。
13回目を数える今回は初めて、南相馬市外の団体もゲスト参加しました。

浪江町からも「南津島の田植踊り」が出演しました。
震災と原発事故後に大勢の観客の前で披露するのは初めてとなり、貴重な機会となりました。

 

(本番まで楽屋で待機する皆さん)

 

田植踊りという民俗芸能は浪江町内でもいくつかあって、津島地区全体としても4つの田植踊りがありますが、それぞれに微妙に踊りも違うそうです。
震災と原発事故前であれば、披露の時期が近づくと同じ地域内に住む方々が夜集まって練習するなどし、高齢化や若い世代の減少といった問題を抱えていたとは言え、なんとか民俗芸能が継承されてきました。

しかし、震災と原発事故で散り散りに避難したことで、そういった練習の機会を設けるのも困難な状況です。

これは浪江町はもちろんですが、福島や東北の被災地が持つ大きな課題です。

 

そんな中「南津島は民俗芸能を伝えていこうと頑張っている」「我々も見習わないと」などと言ったお話しを、いくつかの場で耳にしました。

 

発表会の数日前、南津島郷土芸術保存会の会長を務める三瓶専次郎さんにお会いし、お話しを聴く機会がありましたが「”踊りを伝えていこう”といった声掛けはしたものの、いちばん踊れる人が遠くに避難していたり、集まるのも難しい状況だった」「そんな中、南津島上の紺野宏区長がその役を継いでくれた」など、ご苦労を話されました。

 

 

(久々となる踊りの披露に、観客の目が釘付けです)

 

南津島の田植踊りは昨年1月に、踊りや衣装の記録化(映像撮影)をおこなうために踊りを披露していますが、一般聴衆の前での披露は震災以来です。

年が明けて1月の日曜日は毎回、二本松市に集まって練習をしていたそうです。そんな中でも「みんなで集まったり、昔のことを話すのは楽しいし、津島にいた頃のしゃべり方で話している」などとおっしゃっていました。

 

 

この田植え踊りは本来、旧暦1月14・15日の両日に津島地区の4地区で行われるもので、県の重要無形文化財に指定されています。

 

 

踊りは、鍬頭(くわがしら)の口上に始まり、稲作の工程を唄と踊りで表現するもので、五穀豊穣や無病息災などを願っています。

本来は男性のみの構成ですが「このような状況でやむを得ず、女性の踊り手に入ってもらい助けてもらった」と三瓶さんはステージでインタビューに答えていました。

 

(終演後インタビューに答える踊り手と三瓶会長)

 

そして、その踊り手の女性は「兄がずっとやっていて、うらやましく感じていた」「この機会にとばかり、踊りに入れてもらったんです」と嬉しそうに話していました。

 

民俗芸能の継承については、全国のあちこちでも課題を抱えているかもしれませんが、このような「前を向こう」「伝えていこう」と感じられる言葉に、感動するとともに心強さを感じました。

私たちも応援していきたいと思います。

 

 

請戸の田植え踊りを観て

2018年7月20日

こんにちは。地域づくり支援専門員の今野です。

先日、いわき市のアクアマリンパークにて行われた「千度大祓(せんどおおばらい)」にて請戸の田植え踊りが奉納されました。その様子をお伝えします。

 

田植え踊りは東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた請戸地区に伝わり、震災後もずっと踊り継がれています。

 

これまでも千度大祓で毎年披露されてきたほか、浪江町民の避難先である仮設住宅などでも披露され、町の皆さんを励ましてきました。

今年2月には、本来田植え踊りが披露されていた苕野(くさの)神社で「安波祭(あんばまつり)」が復活し、震災後は初めての奉納となるなど、これまで以上に注目されていると言えます。

 

このところ記録的な猛暑続きで、千度大祓が開かれた7月15日は日差しも強い中、踊り手の皆さんが建物の日陰で出番を待っていました。

いよいよ踊りの披露となります。

 

 

 

かわいらしく、また、難しそうな踊りをしっかりと舞っている姿は感動的でした。

震災前から踊り続けていて、大学3年生になるという女子3人は「疲れたー」と言いながらも笑顔でした。

 

 

請戸芸能保存会の渡部忍会長は「あの震災で生き残った自分たちは”生かされている”と思っている。今回もこれまでも、いろんな人と関わることができコミュニティが築けている」などと話してくださいました。

 

本来は、請戸地区の小学生の子どもたちが中心に踊り手となる請戸の田植え踊り。

今回は福島市で日本舞踊を習っている小さい子らに応援をお願いしたそうです。
初めて踊ったという小学3年生の二人(8歳と9歳)は「楽しかった」「伊勢音頭は難しかったけど、いっぱい練習したから上手になった!」など、楽しそうに感想を話してくれました。

 

災害危険区域となり、住むことのできなくなった請戸地区。

震災から7年以上が経ち、避難先での暮らしも固まっていて、果たして今後どのように地域のつながりを保っていけるのか。大きすぎる課題があります。

そんな中で、この請戸の田植え踊りもどういった形で継承していけるのか。難しい問題だと思いますが、そっと見守りつつ、何かお手伝いできればと考えています。