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地域づくり支援専門員の東山です。
比較的温暖だと言われる浜通りですが、朝晩は冷え込みが強くなり、冬の装いが必要な時期になってきました。
さて、晴天に恵まれた11月24日~25日、十日市が盛大に開催されました。
十日市は浪江町でもっとも伝統あるお祭りで、明治6年、当時は出羽権現(でわごんげん)、現在の浪江神社の例大祭として、浪江町権現堂地区に市(いち)を立てたことが始まりだそうです。この権現堂地区には1区~8区の行政区があり、十日市には子どもたちがそれぞれの行政区が持っている子ども神輿を担いで町内を練り歩いていたそうです。残念ながら震災後、子どもたちが担ぐということはできていませんが、先日、集会所に保管されていた子ども神輿を権現堂1区の佐藤区長や地域の方々とともにお手入れをしました。
昨年から十日市が浪江町内に戻り、3区の子ども神輿が会場のスポーツセンターで奉納されました。今年は弊団体が運営する駅前かふぇもんぺるんでも展示し、お神輿を見ていただく機会を設けました。また、お神輿とともに、昭和30年前後の十日市の様子がわかる写真も一緒に展示し、かつての賑わいも感じていただけたかと思います。
町民の方にお話をお聞ききすると、「子どもの頃、十日市を心待ちにしていた」という声や子ども神輿とともにうつされた昭和25年の白黒の集合写真を見て、「あっ!これうちの父だ」という驚きの声、また、「十日市でしか買えないものがあった」「サーカス団が来ていたこともあった」など、十日市の様子を教えていただきました。子ども神輿を囲みながら、地域がつながる取り組みを考えるひと時となりました。
こんにちは、地域づくり支援員の石橋です。
浪江町恒例、秋の収穫祭「十日市祭」が11月24,25日に開催されました。
両日とも天候に恵まれ開催場所のスポーツセンター付近は、24日の早朝から準備に勤しむ方々やお祭りが待ちきれない人々で賑わいを見せていました。
会場へ行ってみると、たくさんのお客様。
屋外ブースの目玉は何といっても「大せとまつり」でしょう。浪江町の伝統工芸品「大堀相馬焼」の窯元7軒が出店しました。かつて大堀地区で軒を連ねていた窯元さんたちですが、今はそれぞれの避難先で浪江の伝統を守り続けています。そんな窯元さん達のうちの7軒が、震災後初めて浪江の地で十日市に合わせてテントを並べるとあって、楽しみにしていた方も多かったようです。
「うう~ん、渋い」
「その渋さがいいのよ」
「こっちは可愛い!」
などと店先を占める人々の楽しそうな声が聞こえたり、商品をお買い上げくださったお客様の顔を見た窯元さんが思わず
「あれ、〇〇さんじゃねえぇの!?」
「おう、久しぶりだな!元気そうで、いがった(よかった)!」
と再会を喜ぶ笑顔があちこちで見られました。
屋内外のステージでは町の伝統芸能にお笑いライブ、地元サークルのダンス披露など趣向を凝らした舞台が展開される中、とても心温まる一団がありました。「小中学校の校歌を歌う会」です。
同窓生である限り10代であろうと70代であろうと共通の校歌を持っているのですよね。特に小学校で6年間も歌い続ける校歌は、いつの間にか体の奥に沁みついていて絶対に忘れられないものなのだと痛感しました。最後に歌ったのはもう数十年も前のことはずなのに、「仰げば西の~♪」と聞いた途端に、「山青く~♪」と口ずさんでいた方も見受けられました。校歌も「つながり」の一つなのですね。
もちろん十日市に参加しているのは団体やサークルだけではありません。
こちらのお二人は町に帰還されて以降、浪江に美しい景色を作ろうとご尽力されてきたご夫婦です。
ご自宅の周りだけでなく、今は使われていない思い出の学び舎の校庭に花を植える活動を通して、地域とのつながりを築いています。
そんなお二人は避難中に木工と出会い故郷浪江を想いながら作品作りに没頭したそうで、
「福が来る浪江」との想いを込めて「にじ・福浪(にじふくろう)」と名付けた鮮やかなキャラクターを生み出しました。
十日市ブースの一角を借りて出店したところ好評を博したようです。
以前とは姿を変えた十日市祭。その変化に「新生」浪江町を垣間見たような気がしました。
こんにちは
地域づくり支援専門員の丹野です
11月17日(土)大堀小学校にて草刈りとふるさと料理教室が開かれ、
私たちも地域づくりの一環として参加させていただきました。
大堀小学校は避難指示解除区域に含まれるものの、原発事故後休校となっており、校庭には雑草が生え、荒れ放題となっていました。
そんな中、大堀地区全体で集まる機会を創出し、つながり続けるきっかけにしようと、畑川行政区 齊藤基区長をはじめとした有志の方々によって
「ふるさと大堀に集まろう!」が実現しました。
朝早くからの集合だったにもかかわらず、実に80人にも及ぶ方々が参加してくれました。
町外からこのイベントを楽しみに来てくれた人も多く、ところかしこで「久しぶり!元気にしてた?」など再開を喜ぶ姿もありました。
斎藤区長のご挨拶も終わり、各々が道具をもって我先にと、どんどん草刈りをしていきます。
お昼までかかる予定でしたが、参加された皆さんの頑張りにより、予定よりも早く終わりました。
草刈りの次は料理教室。今回の料理はお餅と芋煮。
お餅はみんなでついたつき立てのお餅。芋煮は料理自慢のお母さんたちから学び、みんなで作った絶品。
参加者の皆さんの話では、大堀では昔から、たくさんの人が集まるイベントでお餅がふるまわれることが多かったそうです。
昔は甘いものが少なく、あんこやきなこをたっぷり使った甘いお餅はみんなに喜ばれ、おめでたい席には欠かせない一品だったと聞きました。
草刈と料理教室の後はお楽しみの食事をしながらの交流会。
みんなでテーブルを囲み、つきたての美味しいお餅と熱々の芋煮を頂きました。
昔話にも花が咲き、「大堀小学校でこんなことをした。」
「山では山菜、川では魚を取り自然を満喫していた。」と思い出を話してくれる方もいました。
雑草が生い茂っていた校庭は見違えるほどきれいになり、小学校はかつての姿を取り戻すことができました。
参加した皆さんの感想を聞くと、
「自分の通っていた小学校をきれいにすることができて、本当に良かった。」
「また雑草が生える夏にもう一度集まろう」という声を聞くことが出来ました。
参加していただいた方々の、ふるさと浪江で何かしたい、地域のつながりを保ちたい、そんな気持ちが感じ取れるイベントだったと思います。
こんにちは、地域づくり支援員の河原です。
10月21日に、谷津田行政区における「メガソーラー発電所設置工事起工式」を見学してきました。
上の写真は、谷津田行政区の住民を代表して玉串を捧げる原田区長です。
元々谷津田やその近隣地区は、水と日当たりに恵まれおいしいお米が採れたところであった、と伺いました。
しかし東西と南側の3方向を帰還困難区域に囲まれているという難しい状況があります。
ソーラー事業の導入自体は、区民の同意が100%得られたとのことですが、複雑なお気持ち、苦渋の選択があったのではないかと思いました。
上図は、南側から北側を向いて描かれた谷津田行政区メガソーラー発電所の事業イメージ図です。(MUFG様ご提供)
この右側=東に隣接する酒井行政区は、帰還困難区域に指定されています。
この酒井地区でも、別の事業者によるメガソーラー事業を導入する準備が進められています。
酒井地区では表土を削り取る除染は行わず、反転耕で土地表面の放射線量を下げる方法で実施されると聞きました。
一方、谷津田行政区の西隣りに接する大堀行政区も帰還困難区域ですが、復興拠点として先ずは除染作業が開始されています。
既に室原と南北でつながる県道35号線と、大堀から東に向かって谷津田、酒井、そして高瀬交差点で国道6号線につながる国道253線の除染は終了し、自由な通行が可能となっています。
上の写真は丁度日曜日だったので除染作業もお休みのようで、沢山の作業車が駐車していました。
この写真中央奥の陶芸の杜おおぼりが解除となる日が来るのが待ち遠しく思えます。
地域づくり支援員の引地です。
恒例となりました週末のクリーン作戦ですが、今回は幾世橋地区での開催でした。
集合場所は幾世橋小学校。
集合時間前にラジオ体操を流してみると、皆さん自然と輪になり体を動かし始めました。
約30名の皆様が集まり、佐藤区長からのご挨拶と出発の合図でスタート。
2チームに分かれ、幾世橋小~県道254、幾内橋と内匠町を進み、折り返して幾世橋小でゴールです。
約2キロの距離をごみ拾いしながら歩いた後はお茶を飲みながら交流会。
「みんなでごみ拾い、久しぶりで楽しみにしていた」
「最近浪江に戻ってきました、顔合わせができてよかった」
と言った感想や、
「小学校の時に植えた木があるはずなんだよな」
「『寿の池』があったことを憶えている方はいませんか?」
など昔の思い出に関する話、そして
「幾世橋小学校周辺を花できれいにしているんだ」
といった取り組みの話もあり、小雨が降る中でしたが、会話が広がり笑い声が響きました。
集合場所がみんなが通い関わった小学校ということで、それぞれの小学時代の話もされていたのが印象的でした。
幾世橋小学校は、幾世橋地区みんなの愛着ある場所だということを改めて実感したクリーン作戦でした。