なみえの今

津島行政区の集会所を視察しました

2022年8月27日

こんにちは、地域づくり支援専門員今野です。

浪江町の帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点(以下、復興拠点)3地区はいよいよ来春に避難指示が解除される予定となっています。
復興拠点では解除に向け、9月1日から「準備宿泊」が開始され、希望する方は自宅に寝泊まりができるようになります。

準備宿泊まであと半月を過ぎた8月の中旬、津島地区の津島行政区内を、今年度から行政区長を務めている氏家髙志区長にご案内いただき集会所を中心に視察しました。

津島行政区の集会所は既に除染も済んでおり、復興拠点内に位置しています。
津島地区内で一番住民が多い津島行政区は130戸の世帯があり、そのためでしょうか、室内はかなりの広さがありました。

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故直後は、町から津島地区に町民の皆さんが避難をしてきました。小学校や中学校も避難者であふれる中、各行政区の集会所が避難所として活用されました。
区長の話によると「トイレもあって暖房も機能していたし、避難してきた人は快適に過ごせたと思う」とのことでした。住民の方で炊き出しなど対応したそうです。
「3日ぐらい避難所として開放したと思う」とのことで、配達できなかった新聞でしょうか、まとまった部数が3月14日付けの紙面まで置いてありました。

▲集会所から見える行政区内の景色


震災前、集会所の敷地はゲートボールの練習場として、また夏には盆踊り会場として活用されたそうです。
倉庫には他所から譲りうけたものも含めて盆踊りの櫓(やぐら)が3つ、収納してありました。

お墓も近く、お墓参りの時には駐車場として停める方も多かったそうで、区長は「除染が済んだ集会所を、トイレやエアコンなどを修繕・整備して、お墓参りの時に休めるようにできれば」などとおっしゃっていました。

「散り散りに避難して、再開が難しい」とおっしゃる田植踊りや三匹獅子などの衣装、道具も保管されていました。震災前は行政区内の津島稲荷神社でお祭りがあり、その際に踊りを奉納していたそうです。

その津島稲荷神社を訪ねてみました。
砂利も敷かれ、側溝が整備され、法(のり)面も芝が植栽されたりなど綺麗になっており、今後、神社自体の再建も進めば良いなと感じました。

津島行政区では復興拠点に入っているエリアと入っていないエリアがあります。復興拠点の面積は津島全体の1.6パーセントと、来春解除されるのはごくわずかのエリアで、また、解体が済んだ家も多いことなど、帰還される方がどのぐらいいるのかも分からない状況です。

「もっと早く除染を進めてもらえれば、帰ることも考えられたのに」とおっしゃる方がほとんどで、全くその通りだと思いますが、一方で何か少しずつ変化も出てくるのではと思っています。

引き続きブログでも、復興拠点や帰還困難区域の状況を発信していければと思います。