なみえの今

10年間ふるさとなみえ博物館

2021年3月8日

こんにちは。地域づくり支援員、今野です。

原発事故後、二本松市の仮校舎(旧二本松市立下川崎小学校内)で授業を行っている津島小学校に、このたび手作りの「10年間ふるさとなみえ博物館」が開館しました。
2月26日の初日に、さっそく伺ってきました。

原発事故の後、浪江、津島の両小学校は避難先の二本松市で再開しました。その中で「浪江を忘れないように」と、ふるさとの文化や伝統を学ぶ郷土学習「ふるさとなみえ科」が創設されました。

浪江町を離れても、避難先で町の人たちと交流したり、地域を学ぶ機会が設けられたのです。
その10年間の、学びの様子や成果物などを展示した今回の博物館。

浪江小学校はすでに休校しており、津島小学校の唯一の在校生である須藤嘉人(よしと)君が館長を務め、先輩たちの学んだ足跡や成果物を教室の一部屋にまとめ上げました。

浪江がぎっしり詰まった博物館の様子をレポートします。

▲博物館の扉は大堀相馬焼による文字と二本松家具による装飾の、コラボレーション
▲空き時間に、特別に須藤君に展示物を案内してもらいました
▲2013年、当時の3年生が未来の浪江町について考え制作した模型 / 中央には浪江町の鳥“カモメ”をかたどったシンボルタワー
▲先輩たちとの学びの成果、教室内は200点以上の展示物でぎっしりです

▲浪江の子ども達が考えたカルタと、その想いなども展示されています


カルタの読み札にあわせ、津島地区の郷土料理かぼちゃまんじゅうの手づくり模型なども展示されていました。

須藤君は「初めて食べたのは保育園ぐらいの時。浪江の人がつくってくれた。とてもおいしい」と話してくれました。

浪江の食べ物で好きなものは?と聞くと「なみえ焼そばはおいしい。つくり方も簡単なので、自分で料理することもある」本当に?と聞くと「うん、つくれます」と須藤君。

▲児童が一つになって町民の皆さんに元気を届けられればと取り組んだ和太鼓


和太鼓は十日市祭や仮設訪問などで町の人に披露したそうです。須藤君にも叩いて披露してもらいました。室内に力強い太鼓の音が響きました。

▲手作りの「なみえっ子みこし」


感謝や元気を届けたいとお祭りを企画する中で「おみこしをつくろう!」というアイデアが生まれ完成した”なみえっ子みこし”も展示。子ども達が色塗りをしたそうです。

▲これまでお世話になった方や交流を続けて下さった方を展示 下の棚には大堀相馬焼もあります
▲館長を務める須藤君からのご挨拶 先輩たちと10年間の想いが詰まってます


震災と原発事故で臨時休業した浪江小学校は、二本松市で2011年の8月下旬から再開しました。2014年4月からは津島小学校も避難先の同校舎で再開し、浪江小との合同授業が始まりました。

現在、津島小学校の児童は6年生の須藤君ひとりで、須藤君が卒業すると浪江小に続き津島小も休校となります。


津島小の丹治豊一郎教頭は「ふるさとに触れたことがない子ども達に、どうやってふるさと浪江を伝えていくか、教職員にとっても課題だった」「ふるさとなみえ科で学べるよう、一生懸命に取り組んだ成果物が博物館にはつまっている」と、震災と子ども達にどう向き合ってきたか苦労を話しました。

博物館に足を運んだ、震災後に二本松市で暮らす浪江町出身の女性は「手作りのみこしを子ども達がわっしょいと担いだ時を思い出した。あの時、避難生活を送る浪江町民は子ども達に元気をもらったと思う」などと話し「二本松の伝統にも触れているのは素晴らしい。避難で世話になっているし、忘れてはいけないこと」と、展示内容を評価しました。そして「館長の須藤君はたくましいし、先生方の子どもへの情熱も感じた。とても素敵な博物館」と嬉しそうに声を弾ませました。

▲10年間なみえふるさと博物館の使命


最後に館長の須藤君に、この博物館を訪れた浪江町の人にどう感じてほしい?と尋ねました。須藤君は「これを観て、浪江の人が笑顔になってほしい」と力強く話してくれました。

子ども達が学校の先生や町の皆さんから浪江町を学び、受け継がれていく、その様子を思い描くと、私たち支援員もいっぱいの元気をもらった気がします。


10年間ふるさとなみえ博物館は、令和3年3月31日までの平日(月曜日から金曜日)9時から16時に開館しています。
場所は津島小学校(二本松市下川崎字三島台1番地)です。
お問い合わせは津島小学校(電話024-567-3970)までお願いします。

体調管理やマスクの着用、手指消毒など新型コロナウイルス感染拡大防止対策をした上で、足を運んでみてください。