なみえの今

帰還困難区域 南津島上行政区の今

2021年4月19日

こんにちは、支援員今野です。
今回は全域が帰還困難区域である津島地区の中の南津島上(みなみつしまかみ)行政区について、立ち入り許可を取り、紺野宏区長にご案内頂きながら視察しました。

まず初めに、特別通過交通制度で行き来できる国道114号沿いに位置し、沿道から建物を見ることができる南津島上集会所にご案内頂きました。

整備が進められている特定復興再生拠点区域内に位置しているということで、周辺でも除染や地ならしなどの整備が進められていました。

▲調理室の前で、紺野宏区長

中通りへと通じる114号線沿いということもあり、東京電力福島第一原発事故の直後には160人から200人以上を見込まれる町民の方々が、入れ代わり立ち代わり避難してきたそうです。集会所として利用する前は、津島診療所として昭和50年代ぐらいまで使用されていたということもあって、説明を受けると確かにレントゲン室の名残りや入院用の部屋などがあり、さらには調理室も備わっていました。そのため避難されてきた方々が、ここで炊き出しをしたそうです。津島の皆さんが各家庭からお米を持ち寄ったり、大型の炊飯器を持って来たりするなどしたことで、温かいおにぎりを提供する事ができたとか。お味噌汁なども同様に調理し提供したため、とても有難がられたそうです。
調理室の前に掛けられたカレンダーは2011年3月のままでした。


倉庫も開けてもらいました。「肉まつり」として津島の方に親しまれた、屋外バーベキューで交流するイベント「いきいき夢まつり」で使用した看板や、盆踊りで使った櫓などが保管されていました。

盆踊りはすぐ東側の、元は分校のグラウンドで実施したそうです。集会所が建っている場所も、もともとは地域の運動会の会場でもあったとの話しで、この周辺は、地域の皆さんが集まって賑わい、交流を深めていた場所なんだなとしみじみ感じました。


次に紺野区長のご自宅をご案内頂きました。

古い歴史がありそうなお宅と言えばいいのでしょうか、聞くと「築200年ぐらいじゃないかなあ」とのことでびっくり。入ると土間で、本来は囲炉裏がある部屋など、配置が「津島の家の基本的な形」なのだそうです。
特筆すべきは、紺野区長宅は南津島の民俗芸能「田植踊り」の庭元であり、練習や本番で披露する畳敷きの18畳近い部屋があって「観る人はうちの中に上がり込んで鑑賞したんだ」そんなことを教えて頂きました。

家の後ろは少し高く丘のようになっており、北側の南津島上の家々を一望することができました。桜も少し残る季節、川の水が流れる音も聴こえ、なんとも言えないのどかな気持ちになり「ああ、これが津島の暮らしなんだろうなあ」と少し感じることができました。


最後に八幡(はちまん)神社を訪ねました。

こちらも114号線沿いに位置するため、通過する際に鳥居などを目にすることができます。社殿まで入り、中に保管されている子ども用のお神輿などを見せて頂きました。

秋に開かれる例大祭では三匹獅子なども披露されたり、南津島の田植踊りももちろん奉納されていたそうです

集会所は年に2回、草刈りなどし荒れないよう対策しているとのことで、八幡神社も綺麗だったことから皆さんで手入れしているのかなと感じました。
この周辺は特定復興再生拠点に含まれていることから、順調に進めば2023年3月までには避難指示も解除される予定です。


まだ、もうしばらく時間がかかることと、解除されることで問題が解決するわけではありません。津島の中でもごく一部が、困難を抱えながら、やっと一歩が踏み出せる状況だと思います。

区長はもちろん、避難されている住民の方お一人お一人が、ふるさとへの想いを持ち続けていると思います。コロナ禍もあり、避難されている皆さんのつながり・コミュニティ再生をどう支援していけるのかは難しい課題ではありますが、今後もできることを少しずつ、お手伝いしていければと思っています。