解体前の学校見学会 大堀小学校

2020年8月20日

8月も中旬ですが、いつもより梅雨が長かった分、暑さがより厳しく感じられませんか。地域づくり支援専門員の佐藤です。

学校見学会シリーズ、最後は、大堀小学校です。

先ずは、正門からお邪魔致しました。ステンドグラスや授業で実習体験できた焼き物の窯など、大堀小学校独特の景色に目が奪われます。

 正門
▲ 正面玄関上方のステンドグラス
▲ 焼き物用の窯

さらに、校舎の中へお邪魔致しました。大堀地区だけあって、大堀相馬焼を始め、芸術性の高い品々があちらこちらで拝見出来ました。

▲ 朝倉悠三 先生作
▲ 震災当時担任されていた先生方からの寄せ書き

そして、校庭へ。大堀小学校と言えば、なんといっても校庭の”かきの木”が思い出深いと伺っています。

▲ 名物のかきの木

大堀小学校を見下ろす天神社は、学問の神様・菅原道真公を祀った神社です。明治6年、小学校開校以来、4,352名の卒業生を見守り続けて頂きました。

▲ 天神社より大堀小学校を望む

学校は、コミュニティの象徴的存在だと思います。卒業生だけでなく、児童のご家族、教職員の皆様方、そして学校周辺地域の方々全てにとって大変大切な存在だったと思います。惜しまれつつ閉校・解体される町内の小中学校に思いを寄せる方々にとって、このブログが、思い出作りに少しでもお役に立てれば幸いです。

高瀬川の今

2018年9月1日

地域づくり支援専門員の引地です。

先日、畑川行政区齊藤区長のご案内で、高瀬川渓谷の視察に行ってきました。
(現在は立ち入りが制限されているため、許可をとり立ち入りました)

私は初めて高瀬川渓谷を散策しましたが、川の輝き、音、深緑、そして風。
本当に素晴らしい景観でした。

特に橋から望む景色は時を忘れてしまうようです。

 

 

では写真とともにご覧ください!

 

まず、大柿ダム下から進み、林道~三程川高瀬川の合流地点、かんとうばし。
70mの板橋です。
約90年前に架けられた当時は、木材を積んだトロッコが通行したと言われています。

 

 

 

戸神山登山口
登山道には、全国でも珍しい十二支が祀られています。

 

 

 

復旧作業中のがけ崩れ箇所です。

現状を見ると胸が痛みますが、復旧が完了し綺麗になる日が待ち遠しいです。

 

 

 

葛尾村のほうに進むと、以前観光パンフレットを見て気になっていた噂のピョンピョン石が登場しました。

 

 

 

紅葉の季節はもちろん、四季折々様々な表情を見せてくれる高瀬川渓谷を想像しながら、
この大自然を堪能した数時間でした。

 

 

 

 

 

 

アユを食べながら感じる、以前の地域の姿

2018年7月17日

こんにちは、地域づくり支援専門員の今野です。

7月14日から15日にかけて、JR浪江駅から徒歩5分のふれあい広場を会場に『なみえ まちづくりを考える駅近キャンプ』が開かれました。

 

 

平成29年度からなみえまちづくりCAMP実行委員会が取り組み始めたもので、今年は6月に続き2回目の開催となりました。

まちづくりを考えると言っても堅苦しいものではなく、例えば今回はこの季節の旬の幸でもある「新鮮なアユをその場で焼いて食べよう」がテーマの一つ。

 

まずはアユを刺す竹串を作らねばということで、竹細工を教えてもらおうと、ゲストに大堀地区の畑川行政区 齊藤基区長ら3人をお迎えしました。

 

 

(ちなみに浪江町では、残念ながら原発事故後は漁や釣りが禁止されています。アユの捕獲も調査のため試験的におこなわれているのみとなっておりますので、今回は宮城県から養殖の生きたアユが運び込まれました)

東京や関東など遠方から社会人のグループ、大学生など若い方の参加も多く、素早く出来上がる竹串や箸に「すごい!」「つくってみたい!」など興味津々の様子。
ナタやナイフで竹串や竹のお箸、竹のコップを作ったり、おそるおそるアユを竹串に刺す体験まで、いろいろと3人のゲストの方に教えて頂きました。

 

 

炭火で焼いた新鮮なアユを、夏の夕暮れに野外で食べるなんて最高の体験です。

 

齊藤区長からは震災/原発事故前の畑川地区の様子を教えてもらいました。

 

 

写真は、高瀬川を臨む川沿いの自分の土地にある桑原信一さんの小屋で、なんと手作りなのだそうです!

 

 

室内はこんな感じで、囲炉裏があって高瀬川が眺められて、川で採ったアユをすぐ焼いたり、サンマも焼いたり。この小屋は地域の人が自然と集まれる場になっており、盛り上がって活用していたそうです。

これは紅葉の時期の高瀬川です。

 

 

「すごいーーー」
「最高じゃないですか!」
「ぜいたくーーー」
など、写真を観た方から歓声があがっていました。

 

浪江町内でも山間部の畑川行政区では震災以前から、将来的な地域の在り方に危機感をいだいていたそうで、「10年先は限界集落」などと話に出ていたそうです。

そんな中でも町外から畑川に移住して来た方がいたりと「もしかすると、地域を維持していけるのでは」と希望も持てたそうです。
活性化への動きも少し出ていたとのこと。

 

そうした矢先、東日本大震災と原発事故が起きてしまいます。
「今は皆、避難でバラバラになってしまった」と残念そうに話していました。

 

しかし今回、竹細工の指導やアユの塩焼きの世話などで大活躍した3人は帰りがけに
「とても楽しかった」
「浪江から(避難先に)帰りたくねぇなあ…」
などとおっしゃっていたそうです。

 

私たちも、今は自由に入ることのできない地域の以前の姿を感じたり知ることが出来て、とても貴重な時間でした。

 

 

畑川地区そして高瀬川渓谷と、今は帰れない場所でもそこに住民の皆さんの素晴らしい暮らしがあったことは確かです。

 

このブログをご覧の皆さんにはそんなことも感じて頂こうと、何かこのような形で、地域の以前の姿を発信していきたいと思っています。