なみえの今

帰還困難区域の室原を視察しました(後編)

2020年12月18日

地域づくり支援専門員の今野です。

室原地区の視察、後編になります。

大柿ダムの下流側へと向かい案内してもらいました。この道は、ダムによって新たな道が整備されるまでは国道として利用されていたそうです。
なるほど、道幅も広めで走りやすい道路でした。


▲大柿ダム下流側を近くで見ることができました


続いて、北向(きたむかい)集落に向かいました。

北向でも農地の除染が進行中で、フレコンバッグが並べられていました。室原内でも各所で農地除染が進み、整備されていく様子が印象的でしたが、営農を再開させていくためには「これで、ようやく」始める大前提ができた状態なのだと感じました。失われた地力が元に戻り、いつの日か思うような農作物が採れる田畑になればと、そんなことを願いました。


地元の人が「しちゃみや/しっちゃみや」と呼ぶ地区の七社宮神社は、震災以前に鳥居を直す話が出ていたそうですが、震災により修復しないままで10年が経とうとしています。相馬誠胤(そうま・ともたね)公の碑がありましたが、倒れたまま手つかずとなっていました。




こちらは北向の集会所です。室原内にはこうした小さな集会所が、班ごとに5か所あります。


最後に室原公民館を案内して頂きました。国道114号沿いにある集会所は、震災の2年ぐらい前に増改築をしたそうです。広々とした室内に、室原地区の皆さんが集まって来たであろう、当時の姿を想像しました。
民俗芸能の踊りなどもこの集会所で練習していたということで、広さもあり、40人ぐらいが集まって練習していたそうです。いくつか、古い写真も飾ってありました。



特別通過交通制度でよく利用している国道114号から見える、だけれども帰還困難区域内にあって自由に立ち入りができない集会所に、以前はこんなに住民の皆さんが集まっていたのだと、あらためて感じました。

後日、八龍神社の伝統行事「正遷宮」が昭和55年に行われた際の写真も見せてもらいました。踊りの恰好やお祭りの衣装など着飾った住民の皆さんが、長い長い行列を作って114号を歩く姿などがとても印象的でした。7年に一度開き続いていた遷宮も震災後は開くことができない状況ですが、いつの日かまたこの賑わいが復活すれば楽しいだろうなあ、と感じました。

室原の復興拠点整備は、常磐自動車道ICなどを活かした物流や産業ゾーン、防災拠点としての整備、そして農業再生ゾーンなどが目立ちますが、住民の皆さんの居住促進や交流に関する整備も、事業にしっかりと含まれています。

計画には、集会所の復旧や伝統的な催事をおこなう公共的な場所の整備・復旧などが上げられており、地域の皆さんが集まって交流する場、昔から続いてきた行事ごとをつないでいける場が必要なのは明らかと言えます。


まだ、もうしばらく時間がかかります(2023年3月までに避難指示解除を目標)。大震災と原発事故から10年が過ぎていく中で、解除されてすぐに帰還するということも難しい状況だとは思いますが、復興拠点が整備され、地域の人が慣れ親しんだ元の場で、たまには集まって話したり交流する場が生まれればいいなと思いました。


小澤区長、地区内をご案内いただきましてありがとうございました。