なみえの今

令和3年、コロナ禍での標葉郷野馬追祭

2021年7月27日

こんにちは。地域づくり支援専門員、今野です。

昨年の相馬野馬追は新型コロナウイルスの影響で、無観客で神事のみを執り行う形式でおこなわれたため、何も観ることもできず、思えばブログで発信することもできませんでした。

今年は当初、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地でおこなわれる神旗争奪戦などは観覧者数に制限をかけるなどし、通常通りの相馬野馬追が開かれる予定でした。
しかし、南相馬市で新型コロナウイルスの感染状況が拡大したことから、相馬野馬追執行委員会は規模を縮小し神事のみ(つまり、昨年同様の形式)で実施することを7月上旬に発表しました。

南相馬市の263騎の出場は取りやめとなった一方、宇多郷(相馬市)と標葉郷(浪江町など)では市街地で騎馬武者行列がおこなわれることとなり、準備が進められてきました。

▲お行列がおこなわれる浪江町では、馬が滑らないようにと例年通りマンホールにカバー処理 


標葉郷野馬追祭は通常の二日間ではなく一日目のみの開催となり、7月24日(土)に出陣式と、通常と少しルートを変えたお行列、そして凱旋式が開かれました。


昨年とは違い、少しだけ触れる機会ができた相馬野馬追。

今年は、立野のご自宅から出陣される矢口龍彦さん御一家に当日の様子を見させて頂けることになり、矢口家へ向かいました。

矢口さんとつながりのある親族の方ら8騎が矢口家から出発するということで、朝7時過ぎ、それぞれの騎馬武者たちが続々と集まってきました。

▲迎えに来た騎馬とともに、矢口家から出陣


昨年はお行列がなかったため、2年ぶりの出陣となります。
矢口さんに感想を聞くと「北郷、中ノ郷、小高郷(南相馬市内の3つの郷)、、、他の郷はお行列が出来ないから、、、想いはあるよね」と行き場のない悔しさと仲間たちへの想いを口にされました。

▲立野の道を行く騎馬武者たち


一行は立野の田んぼを右に眺めながら町の方へと進み、4km強先の西台の林富士雄副軍師宅に向かいます。
途中、出陣されている方の会社関係の皆さんが沿道から飲み物を渡したり「ご出陣おめでとうございます」など、お祝いの言葉を送っていました。

林家へ到着すると御使番(おつかいばん)の方が敷地内を進み、林副軍師の前で「お迎えに上がりました。震災とコロナの中、三代でのご出陣おめでとうございます」など口上を述べました。林家では富士雄さんとお父様の茂さん、息子さんの優太朗さんの三世代が出陣されます。優太朗さんは初陣となり、少し緊張気味のようでした。

▲奥に立つのが初めて出陣する林優太朗さん
▲馬上から林副軍師へと口上を述べる矢口龍彦さん



林家を出陣する直前には出陣を祝した軍歌斉唱として「相馬流れ山」を馬上から全員で歌いました。

▲林副軍師もいよいよ出陣


個人宅からのご出陣、お迎えの様子など、なかなか観ることができない貴重な場面に今回は接することができました。オモテには出ない場面かもしれませんが、家族や世代・地域で、こうした伝統をつないできたと思うと感慨深いものがあります。

午前10時前、浪江駅近くの中央公園には続々と騎馬武者が集まってきました。今年の標葉郷の出場騎馬は50騎ということで、その迫力に圧倒されます。

出陣式では吉田数博町長も挨拶し、標葉郷野馬追祭の開催について「避難している町民が、明るい話題というだけではなく、ふるさととのつながりを感じられると思う」などと喜びの言葉を述べました。

矢口家から出陣した8歳の中川心菜(ここな)ちゃんは「馬の上で最初は怖かったけど、だんだん楽しくなっていった」などと感想を話してくれました。お行列に出るのは3回目になるそうです。

▲堂々とした姿を見せる中川心菜ちゃん


実は立野の矢口家から出陣された皆さんは、龍彦さんも町外の避難先から、ご親族も帰還困難区域の双葉町出身で避難中だったりと、この日のためにそれぞれの場所から集っての出陣でした。

避難しながらも、少しでも本来の姿を取り戻そうとする皆さんのご苦労がうかがえました。


お行列を観覧された、町内に住む方に感想をうかがうと「感動した!昨年はできなかったし。浪江町に帰って来て良かったと思った」などと興奮気味に話していました。

林富士雄副軍師は凱旋式が終わったあと「来年は、何はなくとも通常通りの開催が出来れば、それが一番ですね」と、コロナ収束への願いを話しました。


本来の標葉郷野馬追祭は、町民の皆さんが街の中で一緒になって喜びを分かち合えるものだと思います。

地域の安寧や安泰を願う相馬野馬追、来年は新型コロナウイルスも収束し、通常通りに開催できるよう、お祈りしたいと思います。