なみえの今

ふるさとの民俗芸能写真展より①<苅野編>

2021年7月29日

こんにちは、地域づくり支援専門員 今野です。

6月12日から28日まで、道の駅なみえのギャラリーを会場に「ふるさとの民俗芸能写真展」を開催しました。
福島県浜通りには古来より多彩な祭りや踊りなど特色を持った郷土芸能があり、これまで継承されてきました。
浪江町でも各地域で脈々と受け継がれてきた民俗芸能が多数あり、震災と原発事故でほとんどの団体が活動中止を余儀なくされてはいますが、その発信と写真を通じて町の皆さんがつながる機会が生まれないかと思い、企画・制作しました。

地域の人々の心の拠り所となっている、浪江町の民俗芸能の一部を展示した内容から紹介します。

6回に分けてお送りする1回目は、苅野編となります。

多数の民俗芸能が伝えられている苅野地区ですが、今回は「立野下の鳥さし」と「加倉の神楽」について展示しました。

鳥さし舞は、祝福の唱えごとや踊りをおこなう門付芸(かどつけげい)の一種です。
立野下の鳥さしは奴(やっこ)と浦壁三左衛門(うらかべさんざえもん/主人)の二人によって演じられるものです。
昭和40年代の前半まで、毎年1月12日に立野全地区の行事である村祈祷(むらきとう)の際におこなわれてきました。
それ以降は昭和60年代までの間に3回程度しか演じられていないため「観たことがあるという世代も、少ないと思うよ」などと写真を提供された下立野芸能保存会の元会長 矢口一男さんは話してくれました。
大変貴重な写真です。

▲昭和60年代前半 至誠霊神(しかんれいじん)前特設会場

鳥さしは、奴が小鳥を取って差し出すよう命じられ、ようやく一羽取りますが、それも逃げられて主人から勘当されるといった筋のもので、最後には奴と主人が勝負をします。

▲昭和60年代前半
▲昭和30年代 演じたお二人の写真

続いてご紹介する加倉の神楽は、苅宿にある標葉(しねは)神社で震災と原発事故後初めてのお祭りが開かれた際(平成31年4月7日の復興祭)に披露された写真を展示しました。元加倉芸能保存会の阿部仁一さんによると「震災後に神楽をやったのは、この時だけ」ということでした。
写真はその時にまちづくりなみえで撮影したものです。

▲平成31年4月7日 標葉神社復興祭にて

加倉の神楽は正月の村祈祷と標葉神社などの祭礼でおこなわれてきました。

正月の村祈祷では昭和30年代ごろまで、当時60戸程度の全戸を2,3日かけて巡りました。
近年は元旦または二日に依頼された15~6軒を巡っていましたが、東日本大震災後は休止しています。
会員も散り散りの避難生活となり、練習や担い手の継承が難しいという課題を抱えています。

▲平成31年4月7日 標葉神社復興祭

調べているうちに「加倉」の地名について書かれた文書を見つけました(平成20年発行 浪江町史別巻Ⅱ”浪江町の民俗”)。
文書によりますと、慶長のころ上立野の烏帽子形山から当時の今神山に葉山神を遷しました。その後神楽を奉納するようになって、この山を神楽の森というようになり、さらに神楽山、そして加倉村になったといわれている、とのことです。

各地域ごとの特色がある民俗芸能を、引き続きブログで紹介していきます。